★未来を生きる為に★BIGTOEの「筋トレが救った癌との命がけの戦い」

健康を自負していたボディビルダーに突然降って沸いた「ステージⅣ」の癌宣告。それも効く抗がん剤がない、放射線も効かない「腺様嚢胞癌(せんようのうほうがん)」という聞いたこともない稀少癌、しかも、気管内と言う悪条件で生き残る可能性は成功しても大きな後遺症が避けられない命を賭けた大手術のみ。 そんな現実に直面して思う人生あれこれ。 2019年1月「筋トレが救った癌との命がけの戦い~腺様嚢胞癌ステージ4からの生還~」という書籍に。アマゾン、楽天ブックス、体育とスポーツ出版社のホームページなどから購入できます。

タグ:#気管癌

今日から9月です。

東京オリンピック2020に引き続き、東京パラリンピックが開催され日々熱戦が繰り広げられています。

 

新型コロナ感染爆発、緊急事態宣言下で大方の民意に反しての強行開催の是非は横に置いといて、厳しい状況下で戦い続けるアスリート、パラアスリートには心から敬意を表したいと思います。共に凡人では出来ない世界レベルのパフォーマンスを我々に見せてくれ、それは人生を賭けた血の滲むような努力で成り立っており人々に感動を与えます。

 

ただ、自らの支持率を上げる為に来るべき選挙のためにアスリートたちを政治利用する政治屋には強い嫌悪感を感じています。国民は馬鹿ではありません。逆効果を産むと知るべきです。

 

さて、“パラリンピックの父”と呼ばれるイギリスの病院の医師、ルードウィヒ・グットマン博士が残した言葉に・・・

「失ったものを数えるな、残されたものを最大限生かせ」

という言葉があります。

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4年前、私自身も気管癌切除手術で声を失い、両鎖骨、第一肋骨、第二肋骨、胸骨、右大胸筋を失いました。呼吸は鼻、口ではなく胸の気管孔呼吸になりました。気道は狭まり、ネブライザー、痰処理が必須となりました。骨、筋肉がないのですから当然上半身の動きの機能障害が発生します。このことが私のパラリンピックを見る目を変えたことは言うまでもありません。

 

私のがん切除手術までの人生では筋トレがライフワーク、いや、すべてと言っていいかもしれません。それが命と交換にすべて失いました。


 

「術後は筋肉、骨がないという問題だけでなく、気管孔呼吸になるため、息むこと、気張ることが出来ないから筋トレは難しい。気張ることが出来なくなるから便秘にも気を付けなさい。」と主治医に言われていました。しかし、半年の入院生活後、まずやったのが亀田総合病院内にあるリハビリ施設へ通ってのリハビリ筋トレでした。自宅では、2.5kgのシャフトとゴムチューブで出来る事を考え実践してきました。

 

関西に戻った後も尼崎のベイコム体育館に通い、出来る筋トレを続けました。その矢先のコロナパンデミックです。体育館は閉鎖され運動の場を失いました。再開後もとどまることを知らないコロナ感染拡大で気管孔からの感染リスクが高いこともあり体育館への復帰には踏み切れませんでした。そこで始めたのが、町内を歩き公園にある遊具でのトレーニングです。幸い近隣に懸垂バー、平行棒、うんていなどの遊具がある公園があったのです。

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今は、朝5時に起きての公園筋トレに取り組んでいます。現役時代のような見栄も拘りも無くなり、自身の今の体力向上、免疫力向上を目標とした実にシンプルで合理的なトレーニングを実施しています。娘は「お父さん、鎖骨、肋骨、胸骨がないのによく筋トレや懸垂が出来るわ」とあきれていますが、若い頃から続けてきた筋トレのノウハウ、人並み以上の「筋肉貯金」があったからだと思います。

 

歌うのが、おしゃべりが好きなのに声が出せません。海が好きなのに気管孔では溺れるから海に入れません。ボディビルマスターズ挑戦を目論んでいたのに骨と筋肉がないからこれも夢のまた夢。

 

でも、

「失われたものを数えても仕方がない。今あるもので出来る事をやろうじゃないか。」

月ボを見ていると闘病中にコンテストのカテゴリーが増え、正直、浦島太郎状態なのですが、タンクトップを着てのコンテストもあるようです。

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「これなら失った大胸筋は見えない。出る、出ないは別にして、出ても恥ずかしくない体を目指してみよう!!」と月ボとパラリンピックを見て思った次第です。

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何をやるにしても目標を持つことは大切ですからね!!

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ルートウイッヒ・グッドマン博士の

「失われたものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ。」

に強く共感しているBIGTOEです。

 



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※東京パラリンピックのイメージポスターが採用され大活躍の新木友行さん、全日本プロレスのゼウスと。しんちゃんは、アーティストであると同時に大阪京橋のキングジムで障害に負けず汗を流すトレイニーでもあります。

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時のたつのは早いもので2021年も1週間が経過しました。年末、年始にかけて新型コロナウイルスの感染拡大は勢いが弱まるどころかさらに増大しています。

 

明日から一都3県に緊急事態宣言が発令されました。遅きに失したという感じは否めませんが何か手を打たないとどうなることか。ウイルスの性質上、再び更なる不要不急の外出、移動などの人と人との交わりを可能な限り断つしかないのでしょう。

 

私は、昨年11月に腺様嚢胞癌の肺転移が発覚し、「手術はやるなら早い時期に」と希望して1216日に肺転移巣切除手術を受けたのですが、今のコロナ感染拡大の状況を見ると正解でした。

 

今後、コロナの影響で医療崩壊が起こり、癌、心筋梗塞、脳梗塞、交通事故などの怪我の患者の治療に影響が出ないことを切に祈ります。

 

今年に入り元旦には埼玉のボディビルダーの友人から奥様が肺腺癌で1年半の闘病の末、亡くなられたとの連絡が入りました。ご夫婦二人だったので虚無感に包まれていることが感じられました。

 

そして、昨日は、私と同じ気管腺様嚢胞癌と戦っていた同志の妹のように感じていた女性が旅立ちました。まだ、46歳になったばかりで娘さんも小さいので、さぞ無念の思いだったと思います。体調が優れず10月から入院されていたのですが、コロナ渦でお見舞いにも行けなかったのが心残りです。

 

悲しい出来事から始まった新年ですが、生かされている私たちは彼女たちの「もっと生きたい」という思いを受け止め、これからの人生を笑顔で彼女たちの分も1日でも長く生きて生きたいと思います。

 

安らかにお眠りください、いつか天国で会いましょう!!



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今回の手術で知ったこと。3年前の「気管癌」の手術後、主治医から今後、転移の可能性が高いこと。一番可能性が高いのは「肺転移」と聞いていました。

 

腺様嚢胞癌患者会「TEAM ACC」の仲間の状況を見ても最も多いのが肺転移です。今回の肺転移発覚で主治医と交わした会話の中で知ったことですが、肺は胸膜という膜で覆われその周囲は肋骨で守られています。(私の場合、鎖骨、第一肋骨、第二肋骨が無いので咳をするとカエルの喉のように大きく胸の上部が膨らむのですが、肺が膨らんでいるのですね!!)

 

肺は、胃や肝臓などの臓器と異なり肉のような組織でできているのではありません。わかりやすく言えば、スポンジのような組織で出来ています。そして、右の肺は3つの肺葉から、左の肺は2つの肺葉で構成されています。

 

肺を原発とする小細胞肺がん、大細胞肺がん、肺腺がんなどの肺がん、他のがんの転移である転移がんがありますが、私の場合は後者です。多発転移の場合は手術で取り除くのが困難なようですが私の場合多発転移ではなかったので手術で切除が可能でした。

 

術式としては、進行状況、場所により片肺全摘、肺葉切除、区域切除、部分切除と分かれます。

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洛和会音羽病院(京都市山科区)のホームページより

http://www.rakuwa.or.jp/otowa/shinryoka/kokyuki/cancer.html

 

今回の私の場合は、部分切除でした。部分切除は本来なら胸腔鏡手術になるので2~3cmの穴が2~3個で済むのですが、私の場合、胸の気管孔呼吸で気管が短いために片肺送管が困難と言うことで急遽術式変更で開胸手術となり10cm切ることになったのです。(当然、切る範囲が大きくなるため侵襲は高くなり術後の痛みは増します。ちなみに肺自体は神経がなく痛みを感じません。)

 

手術自体は無事に終わり、画像で確認できる転移巣は切除されました。当然、癌とその周囲の肺組織をごそっと大きめに切除します。

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退院後1週間(術後12日)の診察で、血液検査によるCRPの値の低下、胸部レントゲンで術後と現在での右肺の大きさが膨らんでいることが確認され回復が順調であることがわかりました。抜糸も終わり痛みが消えるのを待つだけです。

 

肺はがんと共に大きめに切除されたわけですが、退院後、近所を散歩しただけで息切れがしたこともあり、「切除された部分は何もない空洞状態になるのか?」「肺機能の低下がどれくらいなのか?」が気になったため主治医に確認しました。その結果、部分切除では取り除いた部分に周囲の肺組織が張り出してきて空洞状態にはならない、肺の機能低下もさほど起こらないことがわかりました。

 

退院後1週間の受診で肺が膨らんできているとのことでしたが、年明けの筋トレ再開、ブルガリアンスクワットで術前との大きな変化は感じませんでした。今後のトレーニング、日常生活に大きな支障はないと確認できたので、徐々に負荷をあげていけると思います。とりあえずは一安心です。

連日過去最大の感染者数を更新し続けるCOVID-19

 

「医療崩壊の危機」が叫ばれていますが、感染拡大はコロナ患者だけでなく、交通事故、怪我、がん、心筋梗塞、脳梗塞などなどの患者さんたちの治療にも大きな影響を与えてきています。

 

私自身、11月に「癌の肺転移」が確認され12月に転移巣を切除するための開胸手術を受けたわけですが、治療を選択するにあたり、一時は3年前に「気管癌切除手術」を受けた先生が勧めるメスを入れない低侵襲な「凍結治療」に大きく気持ちは傾いていました。

 

しかし、時はコロナ渦。関西から関東の病院への移動もリスクがあるうえ、入院前に外来受診をしてまず「PCR検査」。検査結果が出るのを待って陰性が確認されてから、入院前受診、そして入院、治療、退院後の受診と言うことになります。おのずと関東での滞在期間は長くなり感染リスクだけでなく経済的な負担も大きくなるのです。そして、「凍結治療」は断念。

 

地元で手術を受けることを決めました。この状況下ですからどこの病院でも入院前にまず「PCR検査」は受けることになりますが、滞在費はかかりません。不要不急の外出はしないので当然ですが、幸いにもPCR検査は陰性。晴れて入院、手術となりました。

 

2017年、2018年、2019年と3年連続して入院していますが、その時と決定的に違うのは、病室から出る時は必ずマスク着用、見舞いは原則11回、1家族1人、着替えの交換名目とされています。実際、入院期間中に入院病棟内で家族の見舞いらしき光景を見ることは一度もありませんでした。ラウンジも閑散としておりほとんどの入院患者は自室で過ごされていたようです。今回は足掛け6日の入院でしたから、そう退屈ではありませんでしたが、これが3年前のように半年近い入院ならたまらないでしょう。

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3年前の入院時に主治医が「院内はとても清潔に見えますが、実際には、ばい菌がたくさんいます。」と言っておられましたが、コロナ渦でPCR検査をパスした人のみが入院されているわけなのでさほど気にはなりませんでした。

 

医療センターの主治医は「手術は年明けでもいいですよ。」とのことでしたが、コロナ感染拡大が続いている現状を見ると「手術延期」になって、その間に「転移癌」が成長する可能性も高くなります。ボディビルダー現役時代も、「きつい脚のトレーニングは週の初めに済ませてしまう」主義でしたから、今回の手術も「苦しいこと、痛いこと、嫌な事は早く済ませてしまおう。」という考えから「出来るだけ早くお願いします!」と答えました。

 

昨日も兵庫県の新型コロナ感染者は232人と過去最高を記録しています。イギリスからの変異型新型コロナウイルスの感染者が複数名確認されています。

 

クリスマスも自宅で過ごすことが出来ました。早い決断と実行は正解でした!!

週明けの15日火曜日から入院、16日は手術です。

 

手術自体は3年前の術前に16時間かかるかもしれないと言われた大手術に比べれば、今回の肺部分切除手術は3時間くらいだそうなのですが、3年前の手術で気管が5cmしか残っていないため、術中の呼吸管理、麻酔管理が難しく特殊なチューブと熟練が要るそうです。

 

9日の麻酔科受診の後、呼吸器外科と麻酔科でコンファレンスが行われたそうなのですが、気管孔の詳細を確認するために、再度月曜日にCT検査を受けることになりました。

不安がないと言えば嘘になりますが、こうなったら「まな板の上のコイ」開き直って、ドクターに身を任せます。

 

しかし、前回より軽い手術とはいえ、手術日が迫ってくるとやはり無意識のうちに緊張するものですね。今までにない体のしんどさ、頭痛、腰痛などの体調不良を感じます。思い出せば、2017年の手術前もそうでした。強そうに見えてメンタルの弱さが露見します。タバコも吸わないのに何故気管癌なのか?若いころから運動習慣(筋トレ)もあるし、食事にも気を付けて暴飲暴食はしません。考えられるとすれば「人的ストレス」しか思い当たらない。人のことを気に掛ける性格なので、もっと、自分中心に生きても良いのではとさえ思うこの頃です。昔、好きだった松本零士さんの漫画「男おいどん」大山昇太の台詞「グラグラしてきた!!いや、偉大なるおいどんの人生にとってただの行きずりにすぎんのど」と思えるように筋肉だけでなくメンタルも鍛えないといけません。

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明日10日はこの世に私を産んでくれた愛すべき母の七回忌です。

 

あっという間の6年でした。2014年、母の逝去後、1年半後に父が母の後を追うように急逝し、その1年後の2017年に私自身が気管癌ステージⅣ、危険な手術を受けなければ余命3か月との宣告を受けました。がん切除手術以外生き延びる術がない希少癌であり、手術すら出来るぎりぎりのところと言うことから、早速、終活を始めました。

 

仕事の引継ぎ、家族への遺言、身辺整理。大切な物は引き継ぎ、不要な物は捨てる。両親の逝去、自身の余命宣告を機に長年悩まされてきた悪縁は鬼滅の刃で涙こらえて切り捨てました。たばこも吸わないのに気管癌、余命3か月、原因はストレスが大きいと聞くと当然ですよね。

 

そして、大切な家族、親戚、友人たちとのひと時に残された貴重な時間を費やしました。今思えば、大勢の仲間に囲まれ人生で一番、充実した時間だったかもしれません。

 

そんな中でボディビルの親友笠松さん、看護師ハーパーさんの紹介で出会った岸本先生、野守先生、ツォン先生という名医による難しい手術、放射線治療を受け半年間の入院。母が生きていたら一番悲しんだことは間違いありません。退院後も鴨川の病院近くのマンションに引っ越しての療養生活を経て、手術から1年後にやっと生まれ故郷に戻ってきたのです。

 

そして、生かされた命でこの世でやるべきことに取り組んできたあっという間の3年でした。

 

人として自然なことなのですが、母の死後、信心深い親友の勧めで自宅に総戒名、過去帳、仏具をそろえ、先祖供養を始めました。父の逝去、自らのがん罹患、治療を経て今日に至るまで毎日の祈りを欠かさない生活を続けています。

 

そして、母の七回忌。余命宣告を受けながらこうして生きていられるのは心優しい妻、娘、息子、孫息子、大勢の友人たちに恵まれたこと、そして天国の母が守ってくれているのでしょう。

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娘に言わせると孫息子は私とそっくりだそうなので、母が生きていたら一番喜んでくれたでしょう。

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2022年は父の七回忌です。その日も元気で幸せに迎えることが出来るように天国から私たちを見守っていてくださいね。

 

使い古された言葉ですが、母にこの言葉を送ります。

 

「産んでくれてありがとう!!人生は面白い!!僕は今、家族に、友人たちに囲まれて幸せです!!」

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