2014年に亡くなった私の母は、大腸癌が肝臓に転移して体調不良を訴えて3週間、入院後1週間で亡くなりました。母は神戸在住、私は埼玉在住で運悪く東北に出張中に突然危篤となったため死に目に会えませんでした。

しかし、母は生涯初めての入院、それも1週間でした。亡くなる前日まで自分で用を足し、亡くなる2時間前まで話していたといいます。その死様はまさに「あっぱれ!!」私も子供たちに、周囲に世話をかけずに逝きたいと思っています。

母自身は私にも会えずにそんなに急に逝ったことは無念だったでしょうし、私に言い残したいことが間違いなくあったはずです。しかし、周囲に世話をかけないということでは、母の死様はまさに私の理想だったのです。

私は、元ボディビルダーです。幸いなことに今まで足首の骨折、尿管結石以外は入院するような大きな病気をしたことがなかったのですが、3ヶ月前の6月、突然宣告されたステージ4の稀少癌、すぐに手術をしなければ余命3ヶ月の宣告を受けたのです。

「周囲に世話をかけずにポックリ逝く。」、「生涯、体にメスを入れない。」と常々思っていたにもかかわらず、すぐに手術しないと余命数ヶ月の癌宣告を受けた現実。それでもなお「手術はしない。手術しても大きな障害が残る。好きな歌も歌えない。筋トレもできない。好きなお風呂にも入れない。大好きな海で泳ぐこともできない、生活の糧である営業の仕事も出来ない。そんな体になるのなら死んだほうがまし!!」ともがきあがいていました。

しかし、世の中を見渡せば、もっと大きな障害をもっていても一生懸命生きている人は大勢います。周囲の家族、友人も生きることを望んで涙してくれる。よくよく考えれば、まだまだ、自分で出来ること、やらねばならないこともあるはず・・・。娘も「このまま手術せず放置したらお父さん死ぬねんで。」と言ってくれました。

幸い、筋肉繋がりの親友笠松さんから「スーパードクターを紹介するから診察を受けてください。」との連絡をいただきました。悩みに悩みました。そして、考え直しました。

このBLOGも自分を奮い立たせるために8月14日にカミングアウトを決意して立ち上げました。

そして、手術。

麻酔から覚めたあとの想像以上の苦痛。じっと寝ているということがこんなに痛くて苦しいとは思いませんでした。こんなにも長く眠れない夜が続くとは思いませんでした。

そして、今まで考えもしなかった大勢の人々のお世話になることになります。私は今、千葉県鴨川市の亀田総合病院に入院中です。ドクターたち、看護師さん、お掃除の方々、遠路はるばるお見舞いに来てくれる友人、毎週通ってきてくれる妻、娘、1週間仕事を休んで大阪から来てくれた息子・・・たくさんの方々のお世話になって生きています。
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その中でも執刀してくださったドクターは勿論ですが、特に看護師さんたちには脱帽です。

ICU、HCU、そして一般病棟ともう自力では何も出来ないのですから、看護師さんに身を任せるしかありません。治療はドクター、患者さんの治療に付随するあらゆるお世話をしてくださるのが看護師さん。

私の場合、ICU、HCUでは体位の変更(重くてごめんね。それでも入院まで5kg近く減量したんですけど)、一般病棟に移ってからは、永久気管孔に出てきて溜まる痰処理。健康な体の時には、痰って喉に溜まった不純物で自然に「は~っ、ペッ!!」と出せるものと思ってた。でも、そうではなかった。痰とは「咳によって吐き出される気道の分泌物」で、それが気管を登って出てくる。そして痰は健康な体では自然に吐き出せるが気管や肺の手術をした場合、定期的にネブライザーで吸入して痰を吸引してやらねばならない。綿棒でピンセットでとらねばなりません。

自分の体でありながら、手術で縫い合わせた体、生きるために人工的に作られた永久気管孔という胸にぽっかりと開いた穴。手術後で傷が治りきっていないので想像していた以上にグロテスクです。向き合うのに時間がかかりました。まだ、完全には受け入れられていないのが現状です。

でも、若い看護師さんたち、私がナースコールすれば飛んで来て、声をかけてくれながら優しく処理してくれます。そして、今は、退院に備えての自分で処理できるように指導してくださいます。そして、どうにもならないときにはSOSを出すのですが、昼夜を問わず気持ちよく処理してくださるのです。

お仕事とは言え、患者さんの気持ちになって接しないとできない、人間的に成熟していないと出来ない、人の気持ちがわからないと出来ない、まさに「ハート to ハート」のお仕事だと思います。

ここ、亀田総合病院は、ドクターも素晴らしいのですが、看護師さんも素晴らしいです。
いかん、いかん、退院したくなくなりそうです!!(笑)
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