phoenixbigtoe1
数日前、一睡も出来ない夜だったという話をしました。
 
実は、手術後初めて、その夜は一人眠れない病室で「未来に一抹の不安」を感じたのでした。
 
2ヶ月にわたる間、4つの病院を回り、ドクター、家族、真友たちと話し合い、ネットや本で情報を集めて、検討し、悩み、涙を流して「自分は絶対に体にメスを入れる手術はしない」という今までの考えと真逆の選択を確信を持って「生きる」ためにしたというのに。
 
「どんな形になっても生きる」か「放置して死ぬ」かの2者択一という選択に「生きる!!!」という結論を出したのに。
 
「どんな体に生まれ変わっても与えられた体で命で奇跡を起こそう!!」と決意したのに。
 
そして、手術の日まで迷うことなく突き進んで来たのに。
 
私自身、62年間生きてきて、会ったこともない胸に呼吸のための気管孔を開けて呼吸をして生きていくという超レアな人間として生きる。正に人造人間のようになってしまったという、ある意味、延命処置とも言える大手術を選んだことへの不安が、鏡で見た自身の胸の手術跡と想像以上に痛々しい(手術から2週間で傷もまだ癒えていないので仕方ないのですが)気管孔を目の当たりにして一気に不安として吹き出てきたのです。
 
あかんたれです。ビビリです。
 
「風呂、温泉に入れない」「プールや海に行けない」などは想定内にしても、「若くて、健康な時は、何とかなるかもしれないが、歳を重ね、病気になったりしたらどうなるのだろうか?」とか「関西に戻って病気になった時、このような体を受け入れてくれてくれる病院が近隣にあるのだろうか?」とか「胸の気管孔から直接、気管、肺に続くので、病気感染を恐れて人ごみには行けないのではないだろうか?」「通勤ラッシュ、満員電車は無理ではないのか」「今までは痰というのは、喉に溜まって「ウエーツ。ペッ!!」と吐くものと思っていたのですが、これからは気管の中に溜まるので気管孔から出すというテクニックが必要になってくるが自分にできるのだろうか?」とか、「鎖骨、胸骨、肋骨も切除されているから今までのようなトレーニングは無理というのは想定内にしても今だあがらない肩が本当に上がるようになるのだろうか?」etc...ネガティブなことばかりが頭に浮かんできてね。
 
入院している鴨川の亀田総合病院の病室は太平洋に面したオーシャンビューで素晴らしい景色なのですが、サーファーや釣り人が大勢居るのですね。つい「ああ、自分にはもうこんなことも出来ないんだなと。」思ったりしてね。
 
声帯を取ってしまうので声が出ないというのも想定内だったはずなのに、声が出ない+体が想像していた以上に動かないので、「背中が痛い」「尻が腰が痛い」「体の向きを変えたい」「頭の位置を変えたい」と言ったことさえ家族や看護師さんにさえなかなか伝わらないもどかしさにはかなりへこみました。
 
そして、そのような状態で周囲に誰も居なくなる不安も経験しました。「痛い」「何とかしたい」「どうにもできない」「伝わらない」半分諦め状態のときもありましたね。
 
ICUを出て、一般病棟に移ってからも、背中、肩、腰の痛みも去ることながら、眠れないし、言いたいことは近くに居れば時間はかかりますがメッセージボードに書いて伝えられるものの離れているときには伝えようがない。ついつい、伝えること自体、答えること自体がが面倒になることもありました。
 
「何をいまさらですね。女々しいぞ!!」ですね。
 
そんなことを考えていると、これからのことを考えると「果たして自分がした肉体を改造してでも生きる」という選択は正しかったのだろうか?BLOGに書き込んでくださったももさんのお父さんのような亡くなり方の方が人間として自然だったのではないだろうかなどと考えてしまったのですね。私の母は2014年11月に病気発覚後わずか3週間、生涯初めての入院1週間で、父も昨年6月元気だったのが入院後わずか10日で亡くなりました。ある意味、潔く、周囲に迷惑もかけずに亡くなったわけですから私も逝くときにはそのように逝きたいと思っていたのでした。
 
しかし、よくよく考えると、ももさんのお父さんは、急死されて、家族に友達に伝えたかったことも伝えられず無念の思いだったはずです。私の両親ももっとやっておきたことがあったはずです。遠方に住んでいる私に話しておきたかったことがあったはずです。(最愛の母は私が東北に出張中に危篤となり死に目に会えませんでした。)
 
私には神様がその時間を与えてくださった。家族の親戚の友人の暖かさに、思いに、連日涙する今まで生きてきた人生で最高に幸せな濃縮した日々を経験できました。家族との絆もより深いものになりました。。おまけに、親友の紹介で出会えた頭頚部外科K先生、呼吸器外科N先生というスーパードクターに巡り合い執刀していただだき、新たな人生を生きる「命の延長切符」を与えられたのですから。
 
私には、不自由かもしれないけど手もボディビルで鍛えた頑健な脚もありまあす。目も見えます。耳も聞こえます。
 
そうでした。まだまだ、自分にできることがあるはずです。家族に、後輩に、友人に、後進に伝えることがあるはずです。
 
ドクターには「力を入れること息めなくなる」と言われている気管孔での呼吸と、鎖骨、胸骨、肋骨を切除した肉体で筋トレに挑戦するというミッションもあります。
 
いずれにしても、今後は、考え、価値観を大きく変えた生き方が必要になるのでしょう。
 
BIGTOEは2017年9月12日(火曜日)に新しい人間に生まれ変わったのです。
 
第二の人生が始まったのです。
 
これを気にBIGTOEはNew BIGTOEに「俊行」という名前は「賢人(けんと)」に変えました。
 
癌は、スーパードクターによる大手術で切除されましたが、この「腺様脳胞癌」は根深く、しつこく、転移がしやすく、再発しやすい、効く抗がん剤もない、放射線も効かないという強敵であることが変わったわけではありません。
 
食生活、生活習慣に気をつけながら、定期診断を受けながら、第二の人生を家族と親戚と友人たちと笑顔で充実したものにするために前進あるのみです。
 
もう、迷いません!!
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