★未来を生きる為に★BIGTOEの「筋トレが救った癌との命がけの戦い」

健康を自負していたボディビルダーに突然降って沸いた「ステージⅣ」の癌宣告。それも効く抗がん剤がない、放射線も効かない「腺様嚢胞癌(せんようのうほうがん)」という聞いたこともない稀少癌、しかも、気管内と言う悪条件で生き残る可能性は成功しても大きな後遺症が避けられない命を賭けた大手術のみ。 そんな現実に直面して思う人生あれこれ。 2019年1月「筋トレが救った癌との命がけの戦い~腺様嚢胞癌ステージ4からの生還~」という書籍に。アマゾン、楽天ブックス、体育とスポーツ出版社のホームページなどから購入できます。

2019年03月

桜の蕾も膨らみ始め、今日は春分の日です。今年一番の暖かさです。体育館でのトレーニングはお休みの日なので買い物以外は自宅で過ごしました。

 

退院以来、正確に言うと、亀田総合病院入院中から手術と放射線による体の硬化を少しでも防ぎ、少しでも柔軟性を回復させようとストレッチを続けています。関西に帰ってきてからは、体力を取り戻すべく週に2回は体育館に行ってのマシントレーニングも継続しています。

 AmaWorkout20190315A

そして今月で術後1年半を迎えましたがその成果は?まだわかりません。しかし、慣れない気管孔呼吸克服とともに、少しずつ体力は戻ってくると信じています。現に手術前78kgあり、半年の入院生活で64kgと減った体重は今月74kgに戻っていますから。

 AmaBody20190321001A

問題は右肩の痛みが回復しないこと、機能回復も思わしくないことです。こればかりは、手術をした医師はもとより、手術で胸鎖関節がなくなり、大胸筋も剥がされた体はスポーツ整形外科の専門医でも未知数。当然、機能回復のためのトレーニング、リハビリ方法は医師もわかりません。まさに試行錯誤するしかないのですね。

 AmaWorkout20190315 016

今日は春分の日です。これからは三寒四温を繰り返しながら、週ごとに暖かくなっていくことでしょう。平成最後の月である41日からの入院を終えて退院したら、トレーニング指導、リハビリのプロ、トライの中川さんのもとに定期的に通います。912日、術後2年にはさらに良くなっているでしょう。

私の著書「筋トレが救った癌との命がけの戦い~腺様嚢胞癌ステージ4からの生還~」のタイトルからすると筋トレで癌が治るように聞こえるかもしれませんがそうではありません。

 

東京大学の石井直方教授から本の推薦文をいただいたのですが、その中で「「筋トレを行うとがんを予防する物質が筋肉から分泌される」と講演で公言していたのに自分ががんになろうとは夢にも思っていなかった」と記しておられます。そして私もがんになりましたから筋トレをしていてもがんになります。

 Offkai2019079

では、何故、筋トレが救ったのか?

ひとつは筋トレ仲間による出会いです。私は、筋トレ仲間、㈱パワーフラッシュの笠松さんの紹介で二人の素晴らしいドクターに出会いました。それまでは、胆管がんで亡くなった川島なお美さんが「女優の体は楽器なんですよ。だから、簡単にメスを入れることはできない。」と言っていたように、私も「ボディビルで鍛えた体は芸術、メスは入れない。」と思っていました。しかし、セカンドオピニオンで病院を渡り歩き、笠松さんの紹介で最高のドクターに出会ったことでメスを入れてでも「生きる」道を選んだのです。正確に言えば、生きることを考えれば、成功しても重篤な障害が残るものの、死ぬ可能性もある危険な手術しか選択肢が無かったのです。

 

手術前、呼吸器外科の野守主治医が言いました。「癌が進んでいるため恐らく取りきれない。必ず癌が残る。でも、放射線照射により再発を防げる可能性が高まる。難しい手術になるが、慎重にやれば出来ない手術ではない。」頭頸部外科の岸本先生(元ラガーマンで現在も筋トレを実践されています)の「がんは手術で完全切除することが大事。免疫療法、遺伝子療法を模索している時間はない。手術をするにもギリギリの段階だが可能性は残されている。筋肉が大きすぎると手術はやりにくくなるが、鍛えているので耐えられるでしょう。」悩みに悩みましたが、二人のドクターの言葉を信じ、2017912日、「これがこの世の最後かもしれない。」と思いながら車いすで手術室に向かいました。

 

ICUで意識が戻り、気管狭窄などの合併症、放射線治療で6度の呼吸困難を経験したものの、半年近い入院生活を経て今日があります。

 

入院中にFACEBOOKで知り合った押川先生も「手術、放射線でがんと戦うには、体力をつけることが大切で、手術に耐えうるか否かは見ただけでわかる。体力があれば抗がん剤治療においても副作用を軽くすることができる。」と仰っていました。

 

私の場合で言えば、長時間に及ぶ手術に持ちこたえ、その後に来る合併症、痛み、不眠、そして、とりわけ思うように機能しない体のQOL回復のためのリハビリにおいて、体力の必要性を痛感したのです。どんなスポーツにおいても体力、筋力をつけることは重要だし鍛練をすることで当然体力がつきますが、体力、筋力をつけるのに最も科学的で合理的な方法はボディビルダーが実践する筋トレです。そのノウハウを熟知していれば、パワーアップ、持久力アップ、心肺機能向上等を個々の状況に合わせて実現することが出来るのです。トレーニングで鍛えられる体力というのは主に行動体力ですが、行動体力を向上させることで全身への血流量を増やすことが出来、細胞の活性化を図れますし、何よりも自信がつきます。

 

私自身、入院中から医師や自身の体調と相談しながら自らが長年培ったノウハウで体力回復、体力向上に努めたことが良かったと思っています。経過観察中の現在も、定期的にCTMRIPET検査を受けながら正常細胞を増殖させるべく体力向上に努めています。石井先生もボディビルダーは、がんになっても治療での回復力が強いと語っておられますし、私も筋トレで鍛えて体力をつけることで癌をはじめとする病との戦いに前向きに向かい合い戦うことが出来ると信じているのです。

 AmaWorkout20190315 012

リブ・ストロング・エイエイオー!!トレイン・ストロング・エイエイオー!!

今日で手術から1年半が経過しました。

 

おしゃべりおっさんがしゃべることが出来なくなって、臭いがわからなくなって、胸の孔から呼吸をすることになって1年半です。

 

術後や1年前と比べると気管孔での呼吸は未だ自然とはいえないもののかなり馴染んできたのかもしれません。気管孔の体が受け入れることが出来なくて、眠ることが出来なかったのが、今はお酒の力を借りることも多々あるものの眠れます。

 

一番つらいのは、癌に侵された気管とともに骨、筋肉が切除され、放射線を浴びせられたことによる硬化部分の動きの不自由さと痛みです。

 mAmaBaycome20181207006

幸い、若いころからトレーニングをライフワークにしてきたので、退院後は習慣のように胸と首のストレッチを続けられています。手術部、放射線照射部の硬化、繊維化部分は一生治らないという医師のことばを覆そうと無駄かもしれない努力は続けています。

 

体重は、癌発覚時78㎏、入院、手術時74㎏、退院時64㎏と流石に減り続けていましたが、退院からのこの1年で74㎏に戻っています。

 

運動量は10分の1くらいに減っているので、脂肪が大幅に増えていますが、背中、腕、脚の筋肉は着実に増えています。多分、増えています。

 

手術前と違って重さにこだわることもなく、見栄もなくなったので、低負荷、高回数のパンプアップというよりも血流アップ目的、柔軟性回復目的のトレーニングだけです。でも筋肉も着実に大きくなってきています。多分、増えています。

小保方さん風に言いますと「マッスルメモリーはあります!!」

 

今は、まだ気管孔にチューブが入ったままですが、手術後2年の912日にはチューブ抜けてもっと良くなっていると信じています。間違いない!!

金曜日に永代供養墓の手続きをしてきました。これで最終目的地が決まったので、その日が来るまでこれからの人生を楽しみたいと思います。

 mAma20190308001

夜には2月に開催されたマッスルコンテストジャパンで優勝した関岡選手の祝勝会に参加してきました。しかし、冬のバーバキューは寒くて煙い。煙を吸い込まないように気管孔をかばって肉を食べつつ右往左往してました(笑)。しかし、若い選手の活躍は嬉しいですね!!筋トレで結ばれた熱い仲間たちと人生の楽しいひと時を過ごせました。

mAma20190308005

mAma20190308008

 

そして、土曜日は今週最後の体育館でのトレーニングに行って来ました。ここでも若者との新たな出会いがありました。彼も障害を持っているのですが、若さと情熱はそれを凌駕します。応援したいと思います。

 

それにしても、人生の時計は、年を重ねるほど早く進むように感じます。「チコちゃんに叱られる!!」では、「人生にときめきがなくなったから」だそうです。

 

自分の経験で言えば、若いころは確かに今より時間が経つのが遅かったように思います。時間を切られた仕事で忙しく処理することが山積みの時には、「もう5時や!仕事がまだこんなに残っている!!」と時間が経つのが早く感じましたが、暇なとき、夜勤の仕事で単純労働をしている時には時間が経つのが遅く感じたものです。

 

今はと言えば、仕事をしていた時よりも入院中、入院中よりも退院後のほうが、昨年6月の職場復帰を断念したために通院が無い日は1日の時間は有り余っているはずです。にもかかわらず、1日の経過が、1週間の経過が恐ろしく早く感じるのです。

 

残りの人生の時間は・・・神のみぞ知るですが若い頃より少ないのは間違いありません。

 

人生の残りの時間が関係するのか?11日の充実度が関係するのか?わかりませんが、自分で操作できるのは、11日、着実にやることを決めて実行し「ときめきを忘れない!!」こと。

 

例のごとく、やるべきことを紙に書きだしていこうと思います。

今週は、月曜日に続いて今日の土曜日も家内と永代供養墓地の見学に行って来ました。
mAma20190225004

両親が亡くなる前に、私に男の子がいないので墓守を孫娘にさせるのは可哀相とのことで墓じまいをして、今は永代供養墓に眠っています。両親とは
30歳近い年齢差があるので、まだまだ先のことと思っていたのですが、一昨年のがん宣告で「こりゃ、近未来だわ!!」と。
mAma20190302003


退院後、やるべき事としてあげたのが、「筋トレが救った癌との命がけの戦い」の出版と「筋肉オフ会
The FINAL」の開催でした。そして、その次がこれです!!

「急がなくていいことちゃうの?」、「お墓を作ったら早くお迎えが来るよ。」と言う方もいるのですが、人生の到達点として誰もが必ず行かなければならないところです。それなら「自分の責務として先にやっておこう!」となったわけです。

墓地に行くと今まで考えもしなかったことが脳裏をよぎります。人生について考え生きる喜びを感じます。

勿論、すぐに入るつもりはありません。まだまだやることが残っています。しぶとく、孫に筋トレを教えるまで生きるつもりです!!

まだまだ!!
mAma20190302008


今日から3月に突入です。

昨日は
2月最終の外来診察を受けてきました。その結果、41日からの入院が決定しました。

目的は気管孔の狭窄対策で、入院しながら気管内のチューブを抜いて狭窄傾向を確認するためです。

チューブが入ったままの現状では、チューブと気管壁の摩擦で肉芽が発生して気管内の空気の通り道を狭くしますし慢性的に炎症が起こります。しかし、チューブを抜いて狭窄が起これば呼吸の孔自体が小さくなり呼吸が出来なくなります。

私の場合、残せた気管が
5cmと短かったので、つんくさんのように喉ではなく、骨を切除して、右の大胸筋を補強に使って、胸の真ん中に気管孔が作られていますが、補強のために使われた大胸筋が孔を塞ごうとする力が強いために狭窄が起こるようなのです。

チューブが抜ければ、定期的なチューブ交換がなくなり、気管孔の炎症も無くなるでしょうから一歩前進です。狭窄が起これば・・・。

起こらないことに期待しましょう。

Ama20190228002

↑このページのトップヘ