★未来を生きる為に★BIGTOEの「筋トレが救った癌との命がけの戦い」

健康を自負していたボディビルダーに突然降って沸いた「ステージⅣ」の癌宣告。それも効く抗がん剤がない、放射線も効かない「腺様嚢胞癌(せんようのうほうがん)」という聞いたこともない稀少癌、しかも、気管内と言う悪条件で生き残る可能性は成功しても大きな後遺症が避けられない命を賭けた大手術のみ。 そんな現実に直面して思う人生あれこれ。 2019年1月「筋トレが救った癌との命がけの戦い~腺様嚢胞癌ステージ4からの生還~」という書籍に。アマゾン、楽天ブックス、体育とスポーツ出版社のホームページなどから購入できます。

2018年08月

2015年以来、悪性脳腫瘍で闘病中だった女子プロレスラーRayさんが30日亡くなったそうです。

若いし、「必ずリングに復帰します。」と戦っておられただけにさぞ無念だったことと思います。

発病される前にコマンドボリショイさんと共にボディビルコンテストに挑戦されるということで行なわれた記者会見と公開練習の取材で、ミッドッブレスでお会いしたのが最初で最後になってしましました。

綺麗にシェイプされた体とプロポーションを兼ね備えたボディビルダーとしても素晴らしい選手でした。

Rayエイドでもゼウス、ボディガー、チームBIGTOEのメンバーとともに復活を応援していたのですが無常です。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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主治医N先生の最後の外来診察がありました。

先週の
CT検査の結果は「異常なし!!しかし、この癌は再発、転移しやすいから3年は安心出来ません。でも、まず、再発なく術後1年経ったことは良かったですね。」とのお話でした。

半年後に再び鴨川を訪れ再入院、挿入されたままのチューブを抜けるかどうかの検証があります。

二人のスーパードクターによって与えられた「人生の延長切符」の期限がいつまでなのかは神のみぞ知るですが、これは癌サバイバーでなくても同じこと。

関西に帰ってからは、筋肉をつけるのではなく、自己再生力を高めるため、免疫力を高める食事、サプリをしっかりとって、病と闘うための体力をつけたいと思います。
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その準備段階として今日は亀田スポーツ医学でレッグプレスとプーリーローイングを
48秒のスロートレーニングでやってきました。先週の久々のハムストリングス、プーリーローイングでは、頑張りすぎてかなりの筋肉痛が来てしまいましたのでやんわりとやんわりと・・・(笑)。

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千葉県鴨川市での1年は大変な戦いの日々であったのですが、お世話になった先生方、看護師さん、リハビリの先生、薬剤師さん、いつも部屋を清潔にしてくれるお掃除の方々と今までの人生とはちがった数々の新しい出会いがありました。

2週間後に迫った帰関へ向かって、各科最後の受診、今後のためのリハビリ、体力作り、引っ越しの準備に慌ただしく過ごしています。
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そんな中、昨日は、リハビリトレーニングで病院へ行く途中にあるサーファーショップ「GLASSEA」で、サーファーの皆さんと楽しいひと時を過ごしました。サーファーの中に入院中にお世話になった看護師Yさんが居るのは、知っていたのですが、他の女性サーファーも看護師さんで「GLASSEA」には日本チャンピオン、オリンピックを目指すプロサーファーいるそうです。
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http://www.glassea.jp/
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そういえば、亀田総合病院のHCUでお世話になった男女の看護師さんも肌が真っ黒に焼けていかにもサーファーといった感じであったことを思い出しました。

病院への道すがら出会うサーファーは皆すれ違う時に「こんにちは!!」と声をかけてくださいます。私は声が出せないので笑顔で頭をペコリと下げます。そんなすがすがしい若者たちとの交流も私の鴨川人生に花を添えてくれました。

今度はもっと元気になって鴨川を訪れたいと思います。また、会いましょう!!

出来れば、気管孔制作手術の前に会いたかったなあ。人生で一度はサーフィンをしたかったBIGTOEでした。

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現状把握と積極的回復に向けて

時間が経つのは本当に早い!!関西に帰還まで2週間余りとなりました。912日は、あの命がけの手術から満1年。この日からスーパードクターによって与えられた「人生の延長切符」を有効に使い切るために、生まれ変わったつもりで呼称を「賢人」に変えました。その意味からすれば、賢人満1歳の誕生日ということになります。

現状は、手術により気管内と喉頭部の癌本体とその周辺、リンパ節、筋肉、骨を切除。その後、予防域、ブーストの総照射線量50グレイの放射線照射。退院後は気管孔という新しい呼吸形態に慣れ、気管孔の狭窄防止のチューブ管理、14回のネブライザーによる吸入・加湿、骨、筋肉切除によって起こった右肩周辺の機能障害の治療、定期的なCTMRIPET、気管支鏡検査による転移、再発の有無の確認などの経過観察、そして自らセルフトレーニングで体力回復に努めるという状況です。

はっきり言って、「体調に波があり、快適な体調ではないし、今よりも良くなるのだろうか。」という不安は否めません。しかし、外科医であるN主治医の立場からすれば、「手術で出来る事はやった。再発防止の放射線もやった。あとは本人の回復力次第。」という段階だと思います。なって欲しくないことですが、転移、再発なのか(転移、再発率は40%5年後の生存率40%未満と聞いています)、寛解から治癒になるのか。

生きるためにあれだけの手術を受けたのですから、当然、後者を目指します。「ある種の覚悟」を決めて、そのために、引っ越し先の徒歩圏内にある施設で今までの経験を生かし、人生を生き抜く体力をつけるトレーニングに打ち込みます。1部位、1セット、高回数、アイソメトリックッス、スロートレーニングも積極的に採用します。

そのためには、「チコちゃんに叱られる」ではありませんが、「ボーッと生きている」時間はありません。関西に帰ったら懐かしい素晴らしい仲間との再会、そして新しい出会いが待っています。回復も急加速するものと信じています!!

12年間の関東生活で巡り合い、お世話になった素晴らしい仲間には感謝の思いしかありません。距離は離れますが、心はすぐそばにあります。今や東京と大阪は近い!!その気になればいつでも会えます。今後とも宜しくお願い致します!!

手始めに、107日、全国から仲間が集まる大阪メルパルクでのJBBF日本ボディビル選手権で会いましょう!!12月には「SATOBIGTOEの筋肉オフ会」も開催します!!ワクワクしてきました。

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今週は胸部、腹部、骨盤周りのCT造影検査でした。検査自体、造影剤を注射する以外は痛くも痒くもないのですが、ここのところ手術でメスを入れ肋骨から大胸筋を剥がして縫合したあたりが疼くこともあり、結果がわかる来週の主治医による外来診察までは、不安が無いと言えば嘘になりますね。何もないことを祈ります。

注射と言えば、入院、手術、治療を受けるにあたっては当たり前と言うか、避けて通れないものだと思うのですが、健康な時のように1年に数回程度の採血なら問題ないのですしょうが、長期にわたる治療、入院となるとそうはいきません。

私の場合、少なくとも一般の方や女性よりも血管は見えるし、採血しやすいはずなのですが、この半年近くに及ぶ入院、治療、検査ですっかり血管が堅くなったのか、注射を恐がって逃げるのか、一発で血管に針が入らなくなってきました。先日の採血の際も初めて外来での採血でうまく針が入りませんでしたし、
PETの時も右腕は血管が堅いから左腕にしますねと言うことになりました。

病気治療中の友人に聞いてみると、抗がん剤治療でもかなり血管が固くなり入りにくくなるだけでなく痛みが長期間続くそうです。入るところがなくて足に刺すこともあるとか。私も今回の造影
CT検査では手首に針を刺されました。

ドクターに聞いてみると、頻繁な静脈注射、抗がん剤治療、放射線治療でも血管が固くなり、時間の経過とともに徐々に改善するそうですが、時間を要するようですし、入院、検査、治療で頻繁に注射をしていると回復する暇がないように思います。その最たるものが、人工透析をされている患者さんで、透析を1日おきとか受けている複数の友人から聞いた話では、やはり針を刺すために動脈を移植したりするそうです。治療のためとは言え何かもっといい方法はないものなんでしょうかねえ。

結局、治療が一段落したら、自分で試行錯誤しながら、体調と相談しながら体調を回復させていくしかないと思うので、最近の私は、ストレッチ、チューブトレーニング、スロートレーニングで血行を良くするように努めています。きっと良くなります。

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※手術直後、術中には深い動脈にも針が入るようでおびただしい内出血がありました。

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※常時、入れておく点滴用の針。交換日が記されています。

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※術後はまさにチューブマン!!

胸に永久気管孔という孔を作る手術を受けた私にとって、1日に4回程度のネブライザー(水や薬液を霧化して気管、気管支を加湿するための機器)で気管を加湿しなければ生きていけません。

通常の体では、呼吸をするときに空気が鼻、口を通過して適度に加湿された状態で肺に入ります。しかし、永久気管孔での呼吸では孔入口からすぐに気管、気管支、肺と流れるため、乾燥した空気がダイレクトに肺に入るため、排泄される痰が乾燥して固まり、出にくくなり空気の通り道を塞ぐだけでなく、ウイルスや菌に感染しやすくなり、気管支炎、肺炎になる可能性が高くなるのです。

そして、特に私の場合、癌が気管に沿うように10cmにまで成長していたので、亀田総合病院呼吸器外科の名医N先生でさえ切除ギリギリの状態だったため気管が5cmしか残せなかったのです。つまり、喉に永久気管孔を作った人よりも肺への道がより短いので乾燥しやすくなるのですね。

退院後、行動範囲を広げるためにもなるべくネブライザーで吸入する回数を減らしていきたいところなのですが、今のところ
4回以上必要です。56時間おきに吸入しなければ呼吸が苦しくなるということです。これでは、ご近所に出かけるならともかく、5時間以上の外出となると、ネブライザーを持参して、電源、水源があり人眼につかないネブライザースポットを確保しなければならないのです。

5月末の関西への病院探しの旅の折もメーカー品の3kg近くあるネブライザー(定価約100000円)をキャリーバックに入れて持ち歩き、ホテルを出る前に1回、5時間たったら戻って1回、寝る前に1回という具合でした。勿論、電車の中で使えるもっとコンパクトで軽いものをと探した末、やはり同メーカーの乾電池で使える携帯用ネブライザー(定価約30000円)を購入して持参したのですが、やはりパワー不足は否めませんので移動中に場所を見つけて補助的に使う感じです。

家内が一生懸命ネットで検索して、乾燥防止とごみの侵入防止用の気管孔のカバー、それ固定するテープなどを探してくれたのですが、今回の東京ぶらり旅では、外国製のネブライザー(重量500gAC100V、価格3000円ちょっと)を見つけてくれたので、だまされたと思って購入して持参しました。それが、それがこのネブライザーコンパクトな割にパワーがあり結構使えます!!3日間使っただけなので耐久性はまだ不明ですが、予備を数台購入予定です。これで持ち歩く荷物の重量が大幅に減りました。

日本人は、どうも、メーカー重視、安いよりも高いほうが何となく安心という傾向があると思います。私もそうでした。

しかし、思い起こしてみると、かって、ビデオレコーダーを買ったとき、店員が勧める一流メーカー品がすぐに壊れて、安いので予備に買った知らないメーカーのビデオの方が、故障もなく長く使ったことがありました。これを教訓にいろいろ試してみようと思います。
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昨日は終戦の日。

そして今日はご先祖さまの魂を見送る送り火の日。子供の頃、母からお盆は御先祖様の霊が帰ってきて
16日にあの世に帰られる。お盆には虫でも殺生はしてはいけない。海も行かないほうがいい。足を引っ張られるというような話を聞いた記憶があります。

私が子供の頃には、この季節のテレビの深夜番組で所謂「怪談」が放映されるのが真夏の風物詩のようになっていて、子供心に恐いもの見たさで毎年楽しみにしていたような気がします。

最近では、正月、盆とか、そういった季節感がなくなってさびしい気もしますね。

今日は、昨夜の蒸し暑い夜からうって変わって、爽やかな風がそよぐ手術以来、初めて感じた朝の爽やかさでした。術後、眠れない夜が長く続き、目が覚めると首から胸にかけてが、カチカチで痛み「爽やかな朝だなあ!!」と思った日は今日まで1日もありませんでした。

今も三歩進んで二歩下がる状態ですが、少しずつ新しい体の完成形に近づいているのかもしれません。

先日、東京で吉田アニキに会ったときに、「吉賀さん、トレーニングやっているでしょう!?」と言われたのですが、アニキにはわかるんですね。目標に向かって体を作り上げていくビルダーマインドが。

コンテストにはもう出られる体ではなくなりましたが、鍛える目的はそれだけではありません。心の筋肉を鍛え、癌と戦う体力をつけることもボディビルなのです。さあ、ヒンズースクワットやりますか!

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810日から23日で東京へ行ってきました。

目的は人生初の東京大学訪問と手術前、入院中と今日までお世話になった月刊ボディビルディング関係の仲間、多摩スポーツジムの仲間に挨拶するためです。
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思えば、東京へ来て
12年。癌による退職、関西帰還というまさかの幕引きになりましたが、その間に多くの仲間と出会い、充実した人生を過ごすことが出来ました。
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本当ならもっと多くの場所に行き、多くの友人とひと時を過ごしたかったのですが、鴨川から出たのが
1回と言う体と、ネブライザーをやりながら、体調を整えながらの旅はまだまだきついものがあります。
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来月、
12年ぶりに関西に帰りますが、真友とはどこにいても心と心が繋がっています。

これからも前だけを向いて進みます。「我が人生に悔いなし!!」と笑って言えるように!!

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娘が、私が手術室へ向かう最後の時間を動画に残してくれていました。

「あ、しゃべってる!!」「あんな手術着を着せられていたのか!」「付き添いの看護師は千田君じゃん!!」妻、娘、息子、親友に最後の声をかけて手術室に向かう瞬間まで動画はとらえていました。

今、この動画を見ているということは手術が成功したからなのですから良かったということなのでしょう。下手すりゃ、私の生きている最後の姿になる可能性もあったわけだし、自分でこの動画を見ることが出来ない可能性もあったわけですから。

何かとても感慨深いものがありました。

私が、
ICUで目覚めた時、娘が号泣したそうです。声をはじめ失うものも多かった手術でしたが、人生の延長切符を与えられ、娘が、家族が、親友が居る幸せを感じた瞬間でした。こんなボディビル狂の不良親父なのに。

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86日は、広島への原子爆弾投下から73年。改めて原子爆弾の恐ろしさをTV各局の番組で感じました。

平和利用と言う名のもとに原子力発電が行なわれていますが、チェルノブイリ、スリーマイル、福島第一発電所のようにひとたび事故が起これば放射線被害が出ることになります。

放射線は、私も受けたくはないと思いつつ受けた癌治療にも使われているのですが、まだまだ、放射線が人体に与える影響は解明されていないことが多いようです。

しかし、核兵器が悪魔の大量殺戮兵器であることは間違いありません。それを国と国の利権争いで作りだし、悪とわかっても身勝手な目先の利権争い、権力争いで排除することが出来ない人間の愚かさを感じます。

日本は世界で唯一の原子爆弾による被爆国であるにもかかわらず、日本の指導者はアメリカの「核の傘」による抑止力を理由に核兵器禁止文書に賛同していないのです。近い将来、人間は自らが作り出したもので、地球上の生物をも巻き込み滅びるのでしょうか。

さてさて、今日は、台風の接近で目の前に広がる太平洋の波は時間の経過とともに大きくなっているのがわかります。穏やかな海は美しく広大でこんな海辺に住んでみたいと思ったこともありますが、実際に海の真近に住んでみると、波の音はザザーッではなくゴーッと聞こえます。温暖化の影響でしょうか、最近の大きな自然災害の多さはこれからの地球の未来を予感させるものがあります。時間の経過とともに轟音をともなって大きくなる波を見ていると大自然が牙をむいた時の恐ろしさを感じます。大きな災害にならないことを切に願います。

台風13号の接近で風があるため、久しぶりにエアコンを消して、窓を全開にしてリハビリトレを行ないました。手術、放射線と一応の癌治療はひと段落。これからは定期的にCTMRIPET、気管支鏡検査、診察を受けながら経過観察をすることになります。気管孔制作という手術での完成形がわからないので、これからは自身の体調と会話をしながら、体力回復に努めるしかないのでしょう。関西での住居では徒歩圏内に医療機関もトレーニング施設もあります。関西帰還の来月予定の912日は、手術からちょうど1年。賢人、満1歳の誕生日でもあります。日々を楽しみます。

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8月に入りました。昨日は頭頸部外科K医師の外来診察でした。

来月で手術から
1年、退院から7カ月が経過します。「胸の気管孔で呼吸をして生きるという手術の完成形を見るまで頑張ろう!!」と今日まで来ましたが、稀な手術なので、まだまだ完成形まで遠いのか、自分では未完成と思っているこの体がもうすでに完成形なのかわかりません。

しかし、
6月で勤務先も退社しましたし、912日が大手術から節目の1年と言うことと、私の体の診察を引き継いでくれる病院が見つかったことで来月には大阪に帰ります。

とにかく闘病中の身にとっては利便性が最優先、病院へのアクセス最優先。これは今の鴨川に勝るところはありませんが買い物に行くにもコンビニに行くにも、役所に行くにも超不便です。そこで、今回は、大阪、三宮、京橋へのアクセスが良い!買い物、役所、トレーニング施設、飲み屋にも近い!所にしました。狭い、古い、家賃は二の次です。

さて、どこでしょう?

10月のミスター日本は2年ぶりに観戦に行きます。12月には大阪駅近辺で最後のオフ会「第18回 SATOBIGTOEの筋肉オフ会 The FINAL」もやります。

鴨川での入院中、闘病中にお世話になったドクター、看護師さん、遠くまでお見舞いに来てくださったすべてのともだちと家族に心から感謝したいと思います。舞台を関西に移して闘病はこれからも続きますが、今後とも宜しくお願い致します。

運が悪けりゃ昨年912日に、手術しなければ、昨年末に消えていたかもしれない命です。最悪でも死ぬだけでそれ以上のことはありません!!これがわかれば怖いものなしです!!

これからは生かされた命で日常の1日1日を積み重ね、小さな目標をひとつひとつ最後の日までクリアしていきます!!

2018年後半が楽しみです!!

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(※23年前の8月。若かったなあ。)

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