2018年07月
体力調整中
南房総、鴨川は、台風12号の接近のためか昨夜遅くから急激に涼しくなっています。久しぶりにエアコンなしで眠ることが出来ました。
時間が経つのは歳が行くほど早く感じるといいますが、昨年9月12日の手術から10カ月と2週間が経過、特に2月12日の退院からの5カ月は仕事もしていないのに恐ろしく早く過ぎて行きました。
そして、今、関西でお世話になる病院も決まったので、手術からちょうど1年の9月12日を目処に大阪に帰るべく準備を進めています。それと並行して体力回復ももっと前向きに進めたいと思います。下半身の筋力アップと呼吸器機能の向上、上半身は、人並みの生活が出来るレベルに機能を回復させることが目的です。中高年用、リハビリ用トレーニングメソッド全開です。
(※手術と放射線で固まってしまった首から胸部はまるで鎧を埋め込まれたよう。ストレッチで対抗する。)
それよりも何よりも気管孔の炎症が治まってくれることが一番大事なのだけれど。狭窄防止のチューブが入っている間は、異物が入っているわけだから摩擦で擦れて仕方がないのかなあ。それが解決すれば、もっと行動範囲を広げることが出来るのですが・・・。
昨日は、東京ビッグサイトでスポルテックカップでした。今日は札幌で日本クラシック、名古屋でNPCJ。明日はやはり札幌で日本クラス別、福生でCJBBF東京大会が開催されます。早く観戦に行けるくらいになりたいものです。
「慣れるのもきつ~い!!」が「Slow & Steadyの精神で!!」
連日の猛暑です。
今日は少しましなようだけれど、手術を受けた後の体、治療中の体にはちょっとした温度の変化、湿度の変化、気圧の変化が結構応えます。
普通は寒いと傷が痛むとか聞きますが、必ずしもそうではないようです。今はこの暑さからでしょうか、ここ数日、手術の痕あたりが熱を持った感じで痛みます。熱っぽく感じるので肝臓か肺が悪いのかとも思いましたが、その場所を手で触って確認すると手術で切って縫った後あたりです。勿論、この辺りは切って縫っているので皮膚や筋肉、切除部だけでなく血管や神経も切れているわけですから、皮膚の感覚は異物を触っているようで感覚がありません。だから、痛みや違和感を感じても何が痛いのか、どこが痛いのか自分でもよくわからない。漠然と切開、縫合痕だからだろうなと思っています。
術後、10カ月経っても痛むのかとも思いましたが、家内に言わせると「良くそんな手術を決断したと思うよ。胸骨まで切除する大変な手術だったんだから1年、2年じゃ良くならないよ。娘も周りの人たちも命が助かればと思って手術を勧めたと思う。みんなの願いは叶ってるし。でもしんどいのは本人やから、私はこんな風になるのはわかってた。今まで通りなんていかへんし!その体に慣れるしかないんです。慣れるしかないよ。」と言われる始末。
でも、自分ではどうしても筋肉貯金をこの1年で使い果たし、まだどこかにそれを取り戻そうにも今まで出来ていた筋トレが出来ない焦りがあるのだけれど、冷静に考えると家内の言うとおりなのかもしれませんね。
そうだ、こんな時こそ「BIGTOEの筋肉物語」のモットーであるSlow & Steadyの精神で行こうじゃないか!!
来世で会おう!!
30年前にユタ州でモルモンの人たちと暮らし、入院するまでひばりが丘の教会へ英会話を習いに行っていました。
その時のもっとも仲が良かったモルモンのトム・クルーズことカーリニーが亡くなったと聞きました。優しくて、ユーモアがあって、筋トレしてて、ハンサムだったカーリニー。悲しすぎます!!
「いつかユタ州にまた行くからね。」と言うと、「BIGTOE、うちで泊まればいいよ。」と言ってくれて再会を約束していたのに。
自分が癌になってこの約束は俺のせいで果たせないかもなと思っていた矢先の訃報。早すぎるだろ!!順番が違うだろう!!と大声を出したいが…声が出ない。
何気ない日常生活に利便性重視、安全性重視
手術後、気管孔で呼吸するという生活になり、ネブライザーが、チューブ交換が欠かせない、体調の波が大きいことから遠出するのが難しくなっています。
先日、私の叔父、叔母が住む広島県安佐北区口田、私が小学校、中学校、高校と過ごした岡山県倉敷市の豪雨災害で多くの人命が犠牲になりました。両県のみならず、今回の豪雨で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。亡くなられた方々には心よりご冥福をお祈り申し上げます。
被災された方の中には、ご高齢の方、障害を持っていて逃げられなかった方も多かったと聞きます。本当に他人ごとではないことを実感します。
今回の病気で退職した今、近い将来、関西へ戻ることを考えていますが、何事もない平時でさえ、人の助けを要する現状を考えると、「安い、綺麗、新しい」よりも、普段から「住むところの安全性」とともに「交通網、生活必需品の入手など利便性」を最重視したいと思った次第です。
利便性と言う面で、気管孔のある体では入浴、シャワーと言ったいままで何も考えずに毎日行っていた生活の必須項目ですらままならないことから、洗面台でも頭が洗えるようにと入院中に中学生時代以来の坊主頭にしました。最初は抵抗がありましたが、やってみると非常にさっぱりとするし、顔を洗う延長で頭まで洗えます。
しかし、気管孔のある体では、理容室でもいちいち「胸の穴で呼吸をしていますので。」と説明するのも面倒です。そこで、先日、遂に、アマゾンでバリカンを購入しました。丸刈りなら短時間で素人でも綺麗に刈ることが出来ます。商品到着後、早速、試しました。気管孔に刈った毛が入らないようにカバーをして、前と横は自分で、後ろは、肩が痛くて手が回らないので家内に刈ってもらいました。
ヘアスタイルを楽しむことは出来ませんが、清潔さと利便性を最優先です。
「浪漫ドクターキムサブ」にはまっています。
入院、手術、退職と怒涛の1年間が過ぎて行きました!!
それまで1日の大部分を占めていた仕事が無くなり、手術と長期入院で使い尽くした筋肉貯金(体力貯金)が底を突き、それらを取り戻そうにもバルクアップ出来るレベルの筋トレに打ち込める領域まで体力が回復していない今、はまっているのが朝ドラと韓国ドラマ。まるで老人(アッ、もう老人だ!!(笑))。まるで韓流ファンのおばちゃま(おじさん?)です。
そんな中、今、放映されている「浪漫ドクターキムサブ」にはまっています。手術成功率97%の天才外科医キムサブ!!私自身、実生活で呼吸器外科のスーパードクターN医師、頭頸部外科のスーパードクターK医師に出会ったからかもしれません。「浪漫ドクターキムサブ」は、患者の命を救うことがすべてと考える医師のロマン、男のロマンがテーマです。今の私には毎日の生きるパワー(楽しみかな?)のひとつになっています。
しかし、自身が受けた手術を思い起こしても、外科医って本当に凄い仕事だと思います。
1年前には想像さえ出来なかったひと時です。このひと時をくださったすべてに感謝です。
筋肉博士
山本義徳!!言わずと知れた筋肉博士の異名をとる日本一でかいボディビルダーです。
私のホームグラウンドである多摩ジムの仲間であり、昨年の私の癌宣告以来、抗がん剤のこと、手術、放射線治療後の回復に有効なサプリメントといろいろと健康面での親身なアドバイスをいただいています。
山本さんと知り合ったのは、もうずいぶんと昔になります。大阪で行われたセミナーに参加した時、その後、娘を連れて山本さんのイベントに参加した時、ミスター日本の取材のため会場に向かう道中でばったり出会い、話しながら大阪厚生年金会館へ向かったとき、飲み会での同席、そして、時は流れ、東京の多摩ジムでの再会。
私と違い寡黙でクール。しかし、飲み会でも参加した方の質問に面倒くさがることもなく、ひとつひとつ丁寧に応える生真面目な性格。卓越した知識とそれを裏付ける肉体。コンテストのステージで姿を見なくなって久しいのですが、今なお多くのフアン、クライアントに支持されていることが彼の人間性を表していると思います。
そんな、山本さんが、奥さんとともに遠路はるばる鴨川に訪ねて来てくださいました。そして、私がお世話になっている亀田総合病院の最上階の喜楽亭でとても有意義で楽しい時間を共にすることが出来ました。ここのところ停滞気味の回復に落ち込み気味の私ですが、いただいた大きなパワーで元気百倍です!!
本当にありがとうございました!!
※山本さんの新刊「ウエイトトレーニング-理論編-」。アマゾンで購入出来ます!!
去年の今頃は・・・
1年前の今頃、私は所沢の防衛医科大学病院で気管の中に何かがあることがわかり、その正体を突き止めるべく、仕事をしながら気管支鏡、PET、胃カメラ、CTと連日の検査に明け暮れていました。
そして、1年前の今日、気管の中にあるものが、抗がん剤もない、放射線も効果が見込めないという腺様嚢胞癌という稀少癌であると宣告されたのです。
流石に頑強で健康な体を自負していたボディビルダーから一癌患者への転身は落差が大きくショックでした。
そして、国立がんセンター中央のセカンドオピニオンを経て亀田総合病院で頭頸部外科のK医師、呼吸器外科のN医師による生きるための手術を受けました。
宣告の日から1年、私の人生は大きく変わりました。それまで、千葉県、しかも鴨川への転居はおろか旅行に行こうかとも考えたこともありませんでした。そして、大きな手術だったことでの術後の回復にも思いのほか時間がかかり、3月から職場復帰どころか、先月に退職と言うことになりました。
でも、生きています!!
人生観、価値観も大きく変わりましたが、家族の絆は強くなりましたし、(元気な時には家族は居て当たり前くらいにしか思っていなかったことを大いに反省させられました。)人生において何が大切なのか、真友の有難さ、大切さを知りました。
幸いと言うか、突然死ではなかったので、1年前までのように話す、歌う、鼻、口で呼吸をする、力む、肉体を使う仕事はできない、常生活においても家内の介助が必要な障害が残りましたし、腺様嚢胞癌という病気は、治療方法が確立されていないだけでなく、転移、再発がしやすいのも特徴ですから不安と背中合わせの生活ではあります。
でも、考えることは出来ます、短時間であればパソコンも操作も出来ます、歩けます、家族に、友達に何かを残すこと伝える時間も残されています。
人生において、何をやるべきか、どのように生きるべきかが鮮明になってきました。2018年後半はわくわくする計画でいっぱいです。
ここ数年ずっと行ってたのですが、今年は笑いに行けないのが残念!!
「笑う門には福来る!!」楽しみは次にとっておきます!!
談慶師匠、松元ヒロさん次の独演会で会いましょう!!