BIG TOEの「未来を生きるために!!」

健康を自負していたボディビルダーに突然降って沸いた「ステージ4」の癌宣告。それも効く抗がん剤もない、放射線も効かない稀少癌、しかも、気管内と言う悪条件で生き残る可能性は成功しても大きな後遺症が避けられない命を賭けた大手術のみ。 そんな現実に直面して思う人生あれこれ。家族のこと、友達のこと、仕事のこと、趣味のこと、生きる意味、人の優しさ、真っ当な生き方について語ります。

2018年03月

今日は、Dr. Tの後任のDr. Mによる初めての気管支鏡検査でした。

狭窄した気管孔にチューブを再挿入したための出血以外は、特に異常は認められないようです。ただ、主治医の
Dr. Nの「1年くらいチューブは抜けない」宣告がありますから、チューブとはまだまだ長いお付き合いになるようです。まあ、この病気になったら病院とは一生のお付き合いは覚悟しなければなりませんが。

明日で3月も終わります。手術から半年、退院から1か月半です。昨年6月にステージ4宣告を受けて、9月に入院、手術。そして長い長い半年が過ぎました。大きな手術だっただけに術後に次々と襲ってくる予期していなかった痛みや痺れや狭窄による呼吸困難など合併症との戦いは今も続いています。しかし、一応の治療はひと段落したと思います。

これからは、定期的な再発、転移をチェックする
CTPETなどの検査と、気管孔の経過を見る気管支鏡検査。日常的な機能回復のためのリハビリテーションに力を入れることになるでしょう。つまり自力再生の期間に入ると勝手に思っています。

時間の経過とともに、まず、命綱である気管孔の狭窄がなくなり人工的に作られた呼吸器で自然に普通に無意識に呼吸が出来るようになること。手術痕、放射線後の組織の硬化、痛みを少しでも緩和すること。治療中の右肩の機能が安定し自分で服が着られる普通の生活ができるようになること。そして、病気に新たな進展がないように努めることです。
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そして、愛すべき家族、友人たちと美味しいものを食べ、飲み、日々を楽しむことです。

今日の午後は、家内と近所で唯一桜が見ることが出来る神社へ行ってきました。来年はチューブもぬけているはず。その時にはもっと遠出してみたいものです。

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息苦しい不安な一夜が明け、後任の担当医Dr.Mに連絡していただき朝一番で救急外来です。

点滴での麻酔であれば、ほとんど眠った状態の間に処置が終わっているのでそれを期待したのですが、主治医
Dr.Nが現れ、キシロカインスプレー(所謂、軽い局所麻酔ですね)を噴霧。瞬時の神業でチューブは再び狭窄をおこした気管孔に吸い込まれていきました。

痛くないのか?と言えば、正直痛い!!でも、ためらいなど全くない瞬時の神業を止めることは不可能。アッという間に処置が終わりました。

おまけに「この感じでは、チューブは
1年は入れておかないといけませんね。」のお言葉。先日の「この手術をしてチューブを一生抜けなかった人はいません。手術から半年となるため、明日から試験的にエアウエイチューブを数日間だけ抜いて生活をしてみましょう。」という言葉への期待はもろくも崩れ去りました。しかし、前半の「この手術をしてチューブを一生抜けなかった人はいません。」という言葉を信じて1年後に向かって前進したいと思います。
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午後からは、スポーツ医学でDr.Kuによる治療です。美人先生です。前回とは違う右肩関節のもっと深い部位にステロイド注射をうっていただきました。そして、右肩周辺部の手術やその後の肩周りのバランスが崩れたことによって硬化した筋肉をほぐすためのリハビリです。今夜こそ、肩の痛みで眠れない、目が覚めるようなことがないことを期待したいと思います。

完全回復には、まだまだ何が起こるかわからないし、乗り越えなければならないことが多くありますが、一つ一つ落とし所を見つけながらクリアしていきます!!

27日は、来月から福島へ転勤になる担当医ドクターTと主治医ドクターNによる外来診療、気管支鏡検査でした。

気管支の回復状況問題なし、気管孔周辺の皮膚の赤い腫れは皮膚のただれのようです。気管孔の狭窄に悩まされているのですが、「
この手術をしてチューブを一生抜けなかった人はいません。手術から半年となるため、明日から試験的にエアウエイチューブを数日間だけ抜いて生活をしてみましょう。」ということになりました。


狭窄が回避されれば、今後の生活の体のメンテナンスがグッと楽になるはず!!完全回復には避けては通れない道です。怖さもありますがうまく行けばという期待感もあります。


加えて、先週実施したPET検査についても報告がありました。喉から胸にかけての患部には再発の兆候はなし、他の部位にも特にその兆候は見られないとのこと。ただ、右肩は、色つきになっており明らかに強い炎症があることがわかりました。夜、眠れないはずです。

これからは、ここ数日のエアウエイチューブなしの状態で狭窄がどうなるか?右肩の痛みが取れて日常生活に不自由がないレベルに機能が回復するのか?首、胸の硬化の進行を日々のリハビリで最小限に抑えること、PETCTによる定期的な再発、転移の確認検査が課題となります。

チューブを抜くことで再び狭窄が進むようであれば、再びエアウエイチューブ挿入ということになりますが、一歩前進することは間違いありません。

早く、普通の日常生活ができるように、遠出できるようになりたいものです。

 

そして、今日は亀田デンタルクリニックに行ってきました。半年近い入院とガンの輔の影響で痩せたせいか、ここのところ食べ物が歯に詰まるし、遂には詰め物が取れたり、歯が欠けたりと続けざまに起こっています。元々、親知らずが4隅にはえているため普通の方より歯の本数が4本多いし差し歯などもないので入院前に住んでいた清瀬の歯医者さんでは、「吉賀さんの年齢で全部自分の歯、しかも、親知らずを入れると人よりも多い。この状態を保ってくださいね。」と言われていたのに黄信号ですね。

入院まではほとんど健康保険など使うことがなかったのに、今や呼吸器外科、頭頸部外科、スポーツ医学科、皮膚科、歯科と大忙しです。ああ、早く健康になりたい!!

 

病院の帰りには、ヘアーサロンに寄って、再び頭を丸め、帰りに家内と手術以来2回目のタリーズに行ってアップルパイとアイスコーヒーを飲んできました。

いつの間にか、アイスコーヒーの美味しい季節到来ですね!!

食道が残り、食べることが出来ること、飲めること、介助をしてくれる妻に感謝です!!

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ここまで書いたところで・・・

今日夕方にチューブを抜いたのですが、わずか3時間で呼吸が苦しいので見てみると、気管孔が明らかに小さくなってきています。

明後日に外来で診察予定ですが、やばいよ!やばいよ!!緊急外来の電話番号を手元に置いて、まずは今夜を無事に乗り越えなければ!!

今日は、スポーツ医学での右肩が痛くて眠れない、肩が上がらない回らない、服が脱げない、着られないを改善するためのリバビリを受けてきました。

胸に永久気管孔を作るために鎖骨を、胸骨を、第一、第二肋骨を切除、右大胸筋を骨から剥がし、永久気管孔のベースにして補強するという手術の付けがここにきて出てきた感じです。

この手術は、命を救うというのが目的の手術であり、そんなに簡単で甘いものではないということは認識して受けたつもりでしたが、術後の身体機能がここまで落ちてしまうとは思っていなかったというのが正直なところです。命を救っていただいたのだから贅沢な悩みですね。

当初の決意のとおり、生きる!ボロボロになっても生まれ変わった、生かされた体で奇跡を起こします。

冷静に考えれば、鎖骨、胸骨、肋骨を切除して胸鎖関節がない、右大胸筋も骨から剥がしているのだから機能障害が起きないほうが不思議です。

流石にトレーニングには精通している私でも、このパーツか欠けて、動きを制限されたイレギュラーな体をコントロールすることは並大抵のことではありません。今日は、自分で感じている以上に大胸筋、三角筋、上腕三頭筋、上腕二頭筋、肩甲骨周りがカチカチになっていることを確認しました。こりゃ、ほぐすのも並大抵なことではないぞ!!でも、トレーナーの助けを借りてどこまでやれるか気張りマッスル!!

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アフラックのがん保険のCMに櫻井翔くんと出演していた山下弘子さんが今朝25歳で亡くなったそうです。

私が彼女を知ったのは、数年前にテレビ放映されたドキュメンタリー番組でした。立命館大学の学生だった19歳のときに肝細胞がんで余命半年と診断され、複数回にわたる手術、抗がん剤治療、RFA(ラジオ波凝固療法)など、可能性のある数々の治療を模索し、再発と転移をくり返しながらも、本を出版したり(山下弘子さんの著書「人生の目覚まし時計が鳴ったとき」)、がん保険のCMに出たり、講演をするなど生きるために笑顔で前向きに戦っておられました。昨年には結婚もしてその前向きな生き方に勇気付けられた方も多かったはずです。

私も彼女の生きる気持ちがもっともっと彼女を生かせてくれるに違いないと思っていました。

彼女が番組の中で語っていた言葉に「がんになった今の方が幸せ」というのがありますが、そんなわけはありません。ならずに済むならならないほうがいいのに決まっているからです。

でも、多くの人間は何となく人生は永遠に続いて、なんとなく明日は来るものと思い込んでいます。そして、追い詰められないと人生の貴重な時間をなんとなく生きてしまうのです。

多くの人は、「死を宣告され、死に直面すること」で、初めて、「自分が存在し生きることの意味」「人生において幸せって何だろうか?」「ならば今生きている自分は何をすべきか?どう生きるべきなのか?」を自身に残された時間に向き合って、真剣に考えるのだと思います。
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私自身、昨年6月までのほほんと生きていたつもりはありませんが、そのようなことを真剣に考えることはありませんでした。そして、防衛医科大学病院で「ステージ4で余命3か月のがん宣告」を受けて、初めて「自分が存在し生きることの意味」「人生において幸せって何だろうか?」を本気で考え出し「生きる戦い」を選んだように思います。

「ステージ4のがん宣告」そして、手術、半年に及ぶ入院で、家族の温かさ、多くの真の友人たちの温かさに触れることが出来ました。戦いは、まだ始まったばかりですが、人生いつ終わるやわかりません。(これは、私だけでなく、老若男女今生きている人々すべてです。)

今は、限りある人生を「自分の存在の意味があること」「人生で最も大切な家族と親戚と友人たちと笑顔で幸せを感じること」だけを考えて悔いを残さないように生きたいと思います。

今日の山下弘子さんの逝去を知り、さらにその思いを強くしました。彼女は精一杯1日1日を生きたのだと思います。

この意味で、弘子さんの言った「がんになった今の方が幸せ」という言葉は正解なのでしょう。

心よりご冥福をお祈り申しあげます。
YmashitaHirokoJinseinoMezamashidokei
(山下弘子さんの著書「人生の目覚まし時計が鳴ったとき」)

今日は、手術後初めてのPET-CT検査でした。

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目的は、ズバリ、癌の転移、再発の有無の確認です。腺様嚢胞癌(ACC)という癌は、再発、転移がしやすいという特徴を持ったやっかいな癌で、私のように、外科手術で癌自体を切除し、断端部に放射線照射することでその部分の再発率をおさえることはできますが、遠隔転移は防げず、その確率は40%と高いのです。

手術とその合併症での死亡が1020%も確立としては結構高いのですが、術後の遠隔転移の可能性40%はさらに高く恐怖です。

しかし、転移、再発もまだ現実に起こっていないこと、そう妄想です。これにビビることは、健康に普通に生活している人が起こってもいない交通事故を心配して外出しないようなもの。

ただ、ショックだったことがひとつ。PET検査の前に体重を測るのですが、退院後、会う人には「ふっくらしてきたね。」と言われていたので、体重は増えていると思っていたのに、まさかまさかの体重減!!母が亡くなる前に「体重が8㎏落ちた」と言っていたのに並んでしましました。

帰宅後、慌ててラーメンライスを平らげました。原因は筋肉貯金の枯渇。上半身は右肩が痛くて上がらない回らない状態なのでトレーニングはできませんが、全身の
6割の筋肉が集まる下半身を鍛えようと思います。そして、せっかく食道を残せたのだから食べたい時に食べたいものを食べようと思います。

 

来週には、CT検査も控えていますが同じこと、ケセラセラで生きたいと思います。


PETpositron emission tomography 陽電子放出断層撮影) 検査とは、放射能を含む放射性薬剤(ブドウ糖代謝の指標となる18F-FDGという薬)を体内に静脈注射で投与し、約1時間安静にして薬剤が全身に行きわたらせたところでCT撮影して画像化する核医学検査の一種で全身を一度に調べることが出来ます。癌はブドウ糖に反応して活性化するため、通常がんや炎症の病巣が黄色や赤い色となって画像にあらわれるため、腫瘍の大きさ、活性状況、場所の特定、転移状況、再発の診断などに利用されます。

義兄弟、老人さんが、私に贈ってくれた2018215日付毎日新聞の「余禄」記事。

「生きることは何かを失っていくこと。失いながら大事なものを感じられるようになること」をテーマに行われた「縁側フォーラム」というイベントについて書かれていました。

筋委縮性側索硬化症(ALS)を34歳で患った37歳の男性の言葉「人生は無限だと思っていたが、今はどうやって生き切ろうかと考え、生きている実感を強く求めるようになりました。」人工呼吸器をつけて生きるか、死ぬかを自分で決めなければならない苦悩。生きるといっても一人では生きていけない。生きるためには家族にかかってくる介護負担が大きいことも考えなければならない。

私自身、昨年、腺様嚢胞癌という稀少癌を患って、「生きる」か「死ぬ」かの選択を否応なしに迫られ、手術を受けることで「生きる」ことを選んだものの、今なお、「なんとなく無限と思っていた人生」の終焉がいきなり突きつけられた思いの中で生きています。献身的な妻、優しい娘、息子、ハートフルな友人たちに支えられて生きています。

でも、この世に生きとし生けるものの命には限りがあります。永遠に続く長い人生というのは幻想なのです。

今、元気でいる若い君の人生も、明日、いや、今日終わるかもしれないのです。

私には、この男性のように「俺はプラチナチケットを手に入れた。普通に生きていたら体験できないことをさせてやる。」とは思えませんが、「残りどれだけあるかわからないけど、人生でやり残したことをやり、いつ死んでも悔いを残さないように使う時間を神様からいただいたのだ。」と思っています。

限りある人生、生かされた人生を生きることの意味を考えて未来を生きたいと思います。

今日は、鴨川に私が亀田総合病院での「生きるための手術」を受けることを後押ししてくれたハーパーさんが来てくれました。そして、家内も一緒に3人で手術後初めてタリーズでコーヒーを飲みながら入院中の思い出話や今後の生活について語り合い楽しい時間を過ごしました。
鴨川に来るたびに顔を見に来て下さるハーパーさん。有難いことです。

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昨日とはうって変わって晴天のここ鴨川に元ボディビルチャンピオン、ストロングマンチャンピオンで現全日本プロレスのトップレスラーZEUSがやってきました。

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ZEUSは現在、やはり元ボディビルチャンピオン、ストロングマンチャンピオンのザ・ボディガーと組んでの世界タッグチャンピオン。ふたりともボディビルの逞しき後輩です。

 

そして、かって、ジャイアント馬場が保持していたPWFヘビー級王座、力道山、ジャイアント馬場が保持していたインターナショナルヘビー級王座、アントニオ猪木、坂口征二が腰に巻いていたユナイテッドナショナルヘビー級王座の統一王座である「三冠ヘビー級王座」を虎視眈々と狙っている今一番マッチョで男気のある強いプロレスラーたちです。

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そのZEUSと亀田総合病院の最上階にあるレストラン「亀楽亭」で目の前に広がる太平洋を眺めながらのランチタイムを過ごしました。眼下に広がる太平洋には連日多くのサーファーが集いサーフィンに勤しんおり、この日も大勢のサーファーで賑わっていたのですが、驚きだったのは、そのZEUSがサーフィンの経験があり詳しいこと。やはり、何をやっても様になる強い男はかっこいい!!肉体だけでなく精神世界にも精通しています。命の源である大海とストロングなZEUSのパワーをいただいた嬉しい1日でした。

 

パワーと勇気をもらって、合併症に負けず、さらなる回復に努めます。そして、ZEUSの三冠王座奪取をこの目で見届けたいと思います。

 


yakiniku


悲しい話です。

 

二十歳の時にボディビルを始めた大阪北新地のナニワボディビルクラブの伊集院先生が亡くなりました。ナニワクラブ、伊集院先生との出会いが、今の私のボディビル人生、今も家族のように付き合っていただいている友人たちとの源です。家内との出会い、家族との出会いにも繋がっています。伊集院先生には感謝の思いでいっぱいです。

娘さんにお聞きした話では、ご病気を患った身でありながら、お亡くなりになる
4日前までジムに通っておられたそうです。頭が下がります。

今回、私自身が闘病中ということで会いに行くことが出来ませんでしたが、きっと天国で「吉賀くん、あんたまだ若いねんからもっと頑張りや!!」と言っておられると思います。

先生のお歳までまだまだです。頑張ります。

空元気やってますが、実は右肩が上がらない回せないのです。
服を着るにも脱ぐにも家内の助けが要る、夜、眠ろうと床についても右肩が疼いて眠れない日々が続いています。
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そして、昨日の午前、ついに亀田クリニックのスポーツ医学科で治療にはいりました。三方向からレントゲンを撮り、ドクター
Kuの丁寧な診察ののちステロイドを注射していただきました。原因は長年行ってきたトレーニングによる骨端部の摩耗があるうえに、外科手術で腕を支え、肩甲骨とともにバランスとっている鎖骨、胸骨、肋骨が切除されて、胸鎖関節がないことによる肩甲骨周り、肩関節への負担のようです。

患部をほぐし、姿勢を矯正するために専門家によるリハビリも受けることになりました。健常な体なら「やり方わかっているからいいですよ。」というところですがこの体では専門家の知恵が必要です。ドクター
Ku自身も、このように胸鎖関節がない患者を診たことはそうはないような口ぶりでしたから。

そして、スポーツ医科学センターでの体力回復トレーニングのために少し前に回数券を購入したのですが、上半身のトレーニングは
NGの指示がだされました。
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午後からは呼吸器外科ドクターTの気管支鏡検査、こちらは幸い経過は順調のようです。気管孔の狭窄が治まり、気管支のエアウエイチューブが抜ける日はいつくるのでしょうか?

そして、今日は転移有無確認の造影剤
CT検査だったんですか、朝から首まわりが紅く顔が火照り、検査一時間前にはしんどくなり遂にキャンセルしました。それでも体温は36度。こんなに顔が火照ってるのに。(私の場合、長時間に及ぶ大手術のあとでも、辛くて仕方がないときでも血圧120-80、体温36度、酸素量97%と安定した数字が出ますから「嘘をついているのと違う?」と思われそうで嫌なのです。)

そんなわけで退院後初めて昼間からアイスノンしながら横になりました。そんな今日の
BIGTOEでした。

手術から半年。季節感のない病棟での生活とは違って外に出ると確実に新芽をつけた木々、道端にひっそりと咲く草花、風、太陽の光の中に、季節の移り変わりを春の到来が近いことを感じます。花粉対策で完全防備しての海辺の散歩ですが気持ちのいいものです。これで潮の香りが感じることができれば最高なのですが。それが出来ないのは残念!!

気管孔の炎症はゆっくりながらも着実に治まってきていますし、チューブの入れ替えも自分でするようになって窒息などの不安材料は激減しました。あとは狭窄が治まりチューブが抜ける日が来ることを待つだけです。そうすればきっと無意識に呼吸が出来るようになるでしょう。

今、気管孔の狭窄、チューブに次いで気になること、頭を痛めることと言えば、癌を治すことを目的とした呼吸器外科のドクターにすれば、意に介することもない、とるに足らないことかもしれないことかもしれないのですが、患者にとっては大事な日常的なこと、私の場合では、手術による切開、縫合の傷が癒える際に起きる組織の硬化、放射線治療で起きる照射部位組織の繊維化による体の動きの不自由さ、ツッパリ感、痛み、痺れがまず一番でしょう。

なんせ毎日のことですし、手術前のように朝起きた時に「爽やかな朝だなあ!!今日も1日頑張ろう!!」という気になれないのですから。目が覚めて、カチカチに固まった体の痛みを感じながら体を起こし、しばらく座って首から胸にかけてのカチカチ感が多少なりとも柔らぐのを待ってから動き出すというのは結構苦痛です。

主治医に聞くと「放射線による組織の硬化、繊維化は一生続きます。痛みは時間の経過とともに減ってきます。」ということなのですが、本当にどういう感じで不自由なのか、どんな痛みなのかは、経験していないドクターにはわからないわけで、患者自身にしかわからないわけで、結局、自分自身で解決するというか、折り合いをつけるしかないのですね。

もう一つの頭を痛めることは、ゲップが増えてきたこと。仰向けになって寝ているとき、座って食事をしているとき、立っているとき、時、所かまわず「ゴボゴボ」とまるで下水管のように出てきます。吐きそうになります。飲食中などに無意識のうちに口から空気が胃や腸に流れ込むようです。それが本人の意思とは無関係に口からはゲップとして上がってきます。まるで牛ガエルです。下からもおならとして出てくる空気が増えているようです。
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ゲップだけならともかく、手術で口から喉、食道、胃、腸、肛門と一本の管状態になり、通常なら、喉から食道の間に気管があり、咳、くしゃみ、欠伸、痰、喉のつまりなどの問題が起きた時に、気管から空気を送り込んで、吐き出したり飲み込んだりして自動調整するのですが、私の場合それが出来ません。

例えば、喉を切開、縫合して喉の周囲が硬くなっているので、食事は良く噛んで食べないと飲み込み辛いのですが、食べたものが喉に詰まったり、停滞すると、当然のことながら、体が吐き出そう、または飲み込もうと気管から空気を送って咳き込んだり反応しますよね。ところが、私の場合、肺から空気を送っても気管孔を通って胸にぽっかりと開いた孔から空気が空しく大気中に吐き出されるだけなのですね。ということで水を飲んだりして流し込むことになります。まったくスッキリ感ありません。「あ~あ」と言った感じです。

そして、今、最高潮の花粉による鼻水!!鼻と口で空気を吸ったり吐いたり出来ない自分にとっては、パッキンのいかれた水道のような花粉による鼻水垂れ流し状態には閉口します!!

そして、遂にこんなんをネットで購入しました。
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そんな中でも、良いこと(?)もあるはず!!
ありました!!食道と気管が繋がってないので誤嚥しない!!
いびきをかかない!!

うん、良いこともあって良かったと思おう!!

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