BIG TOEの「未来を生きるために!!」

健康を自負していたボディビルダーに突然降って沸いた「ステージ4」の癌宣告。それも効く抗がん剤もない、放射線も効かない稀少癌、しかも、気管内と言う悪条件で生き残る可能性は成功しても大きな後遺症が避けられない命を賭けた大手術のみ。 そんな現実に直面して思う人生あれこれ。家族のこと、友達のこと、仕事のこと、趣味のこと、生きる意味、人の優しさ、真っ当な生き方について語ります。

2017年09月

今、突然、T先生が病室にやって来て、『今から管抜きますね。抜糸しますね。』と言ってやっていきました。

予告なく突然だったのでビックリ!!

思わず『抜くの痛いんですか?抜糸痛いんですか?』と聞いてしまいました。『チクッと変な気分がするかも!じゃあ、やってみましょうか。』と言うことでやりましたよ。引っ張られるようなチクッだけでした。

これで、チューブマン卒業です。[画像:38a9e36e-s.jpg]

明日から10月、いよいよ得意分野リハビリに専念です!!

火曜日の喉の検査の合格を受けて、水曜日流動食、木曜日3分粥、今日は全粥でした。

その結果、問題なしということで、手術中に鼻から胃袋まで入れられていた栄養剤と薬注入用チューブが先程抜かれました。

これで顔の右半分の違和感から解放され顔も洗えます。髭も自分で剃れます。

また、一歩前進!あとは左右の胸から出ている廃液用のドレンチューブだけです。

そして、手術以来続いている不眠と骨を取った上半身の、リハビリですね。

今夜からはかなりの量の薬を口から飲まなければならないようです。

前進あるのみです!
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今夜は眠れそうな気がしてきました!

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数日前、一睡も出来ない夜だったという話をしました。
 
実は、手術後初めて、その夜は一人眠れない病室で「未来に一抹の不安」を感じたのでした。
 
2ヶ月にわたる間、4つの病院を回り、ドクター、家族、真友たちと話し合い、ネットや本で情報を集めて、検討し、悩み、涙を流して「自分は絶対に体にメスを入れる手術はしない」という今までの考えと真逆の選択を確信を持って「生きる」ためにしたというのに。
 
「どんな形になっても生きる」か「放置して死ぬ」かの2者択一という選択に「生きる!!!」という結論を出したのに。
 
「どんな体に生まれ変わっても与えられた体で命で奇跡を起こそう!!」と決意したのに。
 
そして、手術の日まで迷うことなく突き進んで来たのに。
 
私自身、62年間生きてきて、会ったこともない胸に呼吸のための気管孔を開けて呼吸をして生きていくという超レアな人間として生きる。正に人造人間のようになってしまったという、ある意味、延命処置とも言える大手術を選んだことへの不安が、鏡で見た自身の胸の手術跡と想像以上に痛々しい(手術から2週間で傷もまだ癒えていないので仕方ないのですが)気管孔を目の当たりにして一気に不安として吹き出てきたのです。
 
あかんたれです。ビビリです。
 
「風呂、温泉に入れない」「プールや海に行けない」などは想定内にしても、「若くて、健康な時は、何とかなるかもしれないが、歳を重ね、病気になったりしたらどうなるのだろうか?」とか「関西に戻って病気になった時、このような体を受け入れてくれてくれる病院が近隣にあるのだろうか?」とか「胸の気管孔から直接、気管、肺に続くので、病気感染を恐れて人ごみには行けないのではないだろうか?」「通勤ラッシュ、満員電車は無理ではないのか」「今までは痰というのは、喉に溜まって「ウエーツ。ペッ!!」と吐くものと思っていたのですが、これからは気管の中に溜まるので気管孔から出すというテクニックが必要になってくるが自分にできるのだろうか?」とか、「鎖骨、胸骨、肋骨も切除されているから今までのようなトレーニングは無理というのは想定内にしても今だあがらない肩が本当に上がるようになるのだろうか?」etc...ネガティブなことばかりが頭に浮かんできてね。
 
入院している鴨川の亀田総合病院の病室は太平洋に面したオーシャンビューで素晴らしい景色なのですが、サーファーや釣り人が大勢居るのですね。つい「ああ、自分にはもうこんなことも出来ないんだなと。」思ったりしてね。
 
声帯を取ってしまうので声が出ないというのも想定内だったはずなのに、声が出ない+体が想像していた以上に動かないので、「背中が痛い」「尻が腰が痛い」「体の向きを変えたい」「頭の位置を変えたい」と言ったことさえ家族や看護師さんにさえなかなか伝わらないもどかしさにはかなりへこみました。
 
そして、そのような状態で周囲に誰も居なくなる不安も経験しました。「痛い」「何とかしたい」「どうにもできない」「伝わらない」半分諦め状態のときもありましたね。
 
ICUを出て、一般病棟に移ってからも、背中、肩、腰の痛みも去ることながら、眠れないし、言いたいことは近くに居れば時間はかかりますがメッセージボードに書いて伝えられるものの離れているときには伝えようがない。ついつい、伝えること自体、答えること自体がが面倒になることもありました。
 
「何をいまさらですね。女々しいぞ!!」ですね。
 
そんなことを考えていると、これからのことを考えると「果たして自分がした肉体を改造してでも生きる」という選択は正しかったのだろうか?BLOGに書き込んでくださったももさんのお父さんのような亡くなり方の方が人間として自然だったのではないだろうかなどと考えてしまったのですね。私の母は2014年11月に病気発覚後わずか3週間、生涯初めての入院1週間で、父も昨年6月元気だったのが入院後わずか10日で亡くなりました。ある意味、潔く、周囲に迷惑もかけずに亡くなったわけですから私も逝くときにはそのように逝きたいと思っていたのでした。
 
しかし、よくよく考えると、ももさんのお父さんは、急死されて、家族に友達に伝えたかったことも伝えられず無念の思いだったはずです。私の両親ももっとやっておきたことがあったはずです。遠方に住んでいる私に話しておきたかったことがあったはずです。(最愛の母は私が東北に出張中に危篤となり死に目に会えませんでした。)
 
私には神様がその時間を与えてくださった。家族の親戚の友人の暖かさに、思いに、連日涙する今まで生きてきた人生で最高に幸せな濃縮した日々を経験できました。家族との絆もより深いものになりました。。おまけに、親友の紹介で出会えた頭頚部外科K先生、呼吸器外科N先生というスーパードクターに巡り合い執刀していただだき、新たな人生を生きる「命の延長切符」を与えられたのですから。
 
私には、不自由かもしれないけど手もボディビルで鍛えた頑健な脚もありまあす。目も見えます。耳も聞こえます。
 
そうでした。まだまだ、自分にできることがあるはずです。家族に、後輩に、友人に、後進に伝えることがあるはずです。
 
ドクターには「力を入れること息めなくなる」と言われている気管孔での呼吸と、鎖骨、胸骨、肋骨を切除した肉体で筋トレに挑戦するというミッションもあります。
 
いずれにしても、今後は、考え、価値観を大きく変えた生き方が必要になるのでしょう。
 
BIGTOEは2017年9月12日(火曜日)に新しい人間に生まれ変わったのです。
 
第二の人生が始まったのです。
 
これを気にBIGTOEはNew BIGTOEに「俊行」という名前は「賢人(けんと)」に変えました。
 
癌は、スーパードクターによる大手術で切除されましたが、この「腺様脳胞癌」は根深く、しつこく、転移がしやすく、再発しやすい、効く抗がん剤もない、放射線も効かないという強敵であることが変わったわけではありません。
 
食生活、生活習慣に気をつけながら、定期診断を受けながら、第二の人生を家族と親戚と友人たちと笑顔で充実したものにするために前進あるのみです。
 
もう、迷いません!!
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おはようございます。

昨夜は医師と相談し安定剤を処方していただきましたが、逆に頭がグアングアンして、ふらつき、とても眠るどころではありませんでした。

結局、頭が落ち着いたところで術後初めて以前読んでいて御守りにと持ってきていた仏教のお経本を取りだし一冊読破。

愛すべき家族、親戚、心優しい友の健康と幸せ、やはり癌と戦っている親友の回復を祈りました。

その後、冷たいお茶をいただきしばしまどろみ朝を迎えました。

今日の鴨川の天気は雨、海も荒れています。

体が回復し、体が求めるようになれば自然に眠れるようになるでしょう。

明日のコンテストに出るんじゃないんだから、焦らせず自然に任せようと開き直りましたよ。

眠れてないことで多少は回復が遅れるかしれませんがそれでも日々回復、日々前進しているのは事実です。一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩さがるでもいいじゃないですか。着実に前進しているんですから。

今日も『未来を生きるために』頑張ります!

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昨夜の徹夜から一夜開けました。

今日は明け方に二時間だけだけどけど眠れましたよ。さわやかな朝です。

そして、検温(36*8)、血圧(131~74)、酸素値(96)測定、投薬のあと待ちに待った『流動食』タイムでした。

メニューは、おもゆ、味噌汁、牛乳、ジュースです。

まだ、鼻から胃袋までチューブが通ったままなので違和感があるため、慎重にお上品にいただきました。

ご馳走さまでした。美味しかったです。感謝!

続くリハビリてのエアロバイク20分のあとランチです。

コーンスープ、味噌汁、ヨーグルト、グレープジュースでした。

夕食おもゆ、ミルクココア、清汁、濃厚流動テルミールでした。

明日は三分粥かな?

正直、まだ、鼻から胃袋までチューブがはいったままだから違和感満載なので自然な飲み込みではありませんか、もう少しの辛抱です!

ああ、早くステーキがG麺のラーメンが食べたい!!

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今、K先生、I先生による喉の内視鏡検査、X線テレビ室での食道燕下造影検査が終わりました。

問題なしということで今日からお水が飲めます。

その後、流動食、その後、固形物へと進みます!

それに伴い鼻から胃袋に入れたチューブが外されるとのことでした。

ずっと腕に刺さっていた点滴針も抜かれました。

一歩前進です!!

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手術以来、明け方に数時間まどろむ程度しか眠れてないのですが、昨夜は睡眠導入剤を入れても一睡も出来ず遂に徹夜でした。

横になっていても、体が痛いだけなのでナースの許可を得て午前4時から病院の廊下、ラウンジを800m歩き、その後、カーフレイズを300回行いました。でも、まったく眠くない。

もちろん日中も眠くならないので寝ていません。

手術から今日で2週間になりますが、人間って眠らなくても結構大丈夫なんてすねえ。

リハビリも調子悪くないし、体温は常に36度台、血圧は常に120-80前後、酸素も常に95あたりです。

でも、今夜は眠りたいなあ。

睡眠中枢が壊れているんかしらん?

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◆24時間、鼻チューブから常にお食事中!メイバランス!

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日々、私のブログにコメントを書いてくださる皆さん本当にありがたいです。コメントにはひとつひとつ目を通させていただいています。そのひとつひとつをパワーに変えてステージ4を克服したいと思います。本来ならすべてのコメントにRESしたいところですが、まだ、肩も上がらず同じ姿勢を長く保てないため、スマホを操ることすら結構キツイのですね。ご理解のほど宜しくです。

今日は全日本プロレスのゼウスから私の大手術の日、12日(虎の日)に後楽園ホールで開幕した王道トーナメントが掲載された週刊プロレス10月4日No.1923が病室に届きました。ゼウスのコメを見て泣きました。

ジョイフルタイム西八王子の山崎さんから病室に電子ボードが届きました。書き心地が良く軽いので腕が上がらない自分にも扱えとても重宝しています。

皆さん、本当に、本当に、本当にありがとう!!

感謝の気持ちで一杯です!!

昨夜も寝付かれぬ夜でした。

そして、明け方近くの午前4時。まどろむ中、トイレに行こうとしてふと右前胸部頚部のドレンを見ると血で真っ赤。床につくまでは左前胸部頚部ドレンと同様に色も薄くなり量も減っていたのに。

驚いてナースコールしました。ナースが自宅に居たドクターを呼び、さっそくエコー検査と採血。

結果、右前胸部に血溜まりが確認されたものの貧血もなく血液の色から動脈血ではなく咳か何かが原因て手術部付近で軽い出血が起きたか、どこかに溜まっていた血液が出てきたものと判明。

時間の経過とともに落ち着くだろうとのことでした。

お陰様で今は落ち着いています。しかし一時は『再手術』が頭に浮かびビビりましたよ。

明日で手術から2週間の週に入ります。2週間目の火曜日の全摘出した喉の検査がOK であればいよいよ半月ぶりに水が飲めます。楽しみです。

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もともと能天気な私。

喋れなくても余計なこと言わなくていいやん。
カラオケ?聞く側に回ればいいやん。
ギター?弾き語りは出来ないけど弾きは出来るやん。
電話?ライン、メールがあるやん。
どっちかと謂えば、今まではしゃべり!高倉健のような寡黙な男の人生もええやんくらいに思っていました。

しかし、術後、実際になってみると、、、、、なんと不便か、、、、、

声がでないに加えて、上体が思うように動かないこともありシェスチャーも出来ない。首の付け根から左右上下に切開しているから仰向けに寝た状態から首も痛恐くて起こせない。
その状態でノートと鉛筆を持たされてもノートは見えない、手は上がらないから書きようがないのです。
読唇術を習得してない限り、いくら家族でも私の口の動きを見てもなかなかわからない。何度繰返してもわからない。

『なんでわからないんや』と思ってしまう私。
一生懸命理解しょうとしても『言いたいことがわからない』と途方に暮れる家族。

『ここが痛い』と言っても指で指せないもどかしさ。筆談で伝えたいが頭を上げられないのに加えて老眼まじりの近眼ということも手伝ってノートが見えない。ノートの上の方まで腕が上がらない。それを家族はわからない。私が悲しそうな顔をすると家内も泣きそうな気分になる。

術後数日間はそんな感じでした。

今、
術後、11日が経過。コミュニケーションも少しずつですが良くなってきています。

腕も少しずつですが上げられるようになってきています。仰向けに寝た状態から体の位置を変えることも出来るようになってきました。

体が日常生活が普通に出来るレベルに回復すれば、次はコミュニケーションの問題に全力投球です。タイプしてボタンを押せば音声に転換される機器でしょうか。

困難を乗り越え家族の絆がますます強くなるのを感じるこの頃てす。
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