★未来を生きる為に★BIGTOEの「筋トレが救った癌との命がけの戦い」

健康を自負していたボディビルダーに突然降って沸いた「ステージⅣ」の癌宣告。それも効く抗がん剤がない、放射線も効かない「腺様嚢胞癌(せんようのうほうがん)」という聞いたこともない稀少癌、しかも、気管内と言う悪条件で生き残る可能性は成功しても大きな後遺症が避けられない命を賭けた大手術のみ。 そんな現実に直面して思う人生あれこれ。 2019年1月「筋トレが救った癌との命がけの戦い~腺様嚢胞癌ステージ4からの生還~」という書籍に。アマゾン、楽天ブックス、体育とスポーツ出版社のホームページなどから購入できます。

2017年09月

今、突然、T先生が病室にやって来て、『今から管抜きますね。抜糸しますね。』と言ってやっていきました。

予告なく突然だったのでビックリ!!

思わず『抜くの痛いんですか?抜糸痛いんですか?』と聞いてしまいました。『チクッと変な気分がするかも!じゃあ、やってみましょうか。』と言うことでやりましたよ。引っ張られるようなチクッだけでした。

これで、チューブマン卒業です。[画像:38a9e36e-s.jpg]

明日から10月、いよいよ得意分野リハビリに専念です!!

火曜日の喉の検査の合格を受けて、水曜日流動食、木曜日3分粥、今日は全粥でした。

その結果、問題なしということで、手術中に鼻から胃袋まで入れられていた栄養剤と薬注入用チューブが先程抜かれました。

これで顔の右半分の違和感から解放され顔も洗えます。髭も自分で剃れます。

また、一歩前進!あとは左右の胸から出ている廃液用のドレンチューブだけです。

そして、手術以来続いている不眠と骨を取った上半身の、リハビリですね。

今夜からはかなりの量の薬を口から飲まなければならないようです。

前進あるのみです!
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今夜は眠れそうな気がしてきました!

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数日前、一睡も出来ない夜だったという話をしました。
 
実は、手術後初めて、その夜は一人眠れない病室で「未来に一抹の不安」を感じたのでした。
 
2ヶ月にわたる間、4つの病院を回り、ドクター、家族、真友たちと話し合い、ネットや本で情報を集めて、検討し、悩み、涙を流して「自分は絶対に体にメスを入れる手術はしない」という今までの考えと真逆の選択を確信を持って「生きる」ためにしたというのに。
 
「どんな形になっても生きる」か「放置して死ぬ」かの2者択一という選択に「生きる!!!」という結論を出したのに。
 
「どんな体に生まれ変わっても与えられた体で命で奇跡を起こそう!!」と決意したのに。
 
そして、手術の日まで迷うことなく突き進んで来たのに。
 
私自身、62年間生きてきて、会ったこともない胸に呼吸のための気管孔を開けて呼吸をして生きていくという超レアな人間として生きる。正に人造人間のようになってしまったという、ある意味、延命処置とも言える大手術を選んだことへの不安が、鏡で見た自身の胸の手術跡と想像以上に痛々しい(手術から2週間で傷もまだ癒えていないので仕方ないのですが)気管孔を目の当たりにして一気に不安として吹き出てきたのです。
 
あかんたれです。ビビリです。
 
「風呂、温泉に入れない」「プールや海に行けない」などは想定内にしても、「若くて、健康な時は、何とかなるかもしれないが、歳を重ね、病気になったりしたらどうなるのだろうか?」とか「関西に戻って病気になった時、このような体を受け入れてくれてくれる病院が近隣にあるのだろうか?」とか「胸の気管孔から直接、気管、肺に続くので、病気感染を恐れて人ごみには行けないのではないだろうか?」「通勤ラッシュ、満員電車は無理ではないのか」「今までは痰というのは、喉に溜まって「ウエーツ。ペッ!!」と吐くものと思っていたのですが、これからは気管の中に溜まるので気管孔から出すというテクニックが必要になってくるが自分にできるのだろうか?」とか、「鎖骨、胸骨、肋骨も切除されているから今までのようなトレーニングは無理というのは想定内にしても今だあがらない肩が本当に上がるようになるのだろうか?」etc...ネガティブなことばかりが頭に浮かんできてね。
 
入院している鴨川の亀田総合病院の病室は太平洋に面したオーシャンビューで素晴らしい景色なのですが、サーファーや釣り人が大勢居るのですね。つい「ああ、自分にはもうこんなことも出来ないんだなと。」思ったりしてね。
 
声帯を取ってしまうので声が出ないというのも想定内だったはずなのに、声が出ない+体が想像していた以上に動かないので、「背中が痛い」「尻が腰が痛い」「体の向きを変えたい」「頭の位置を変えたい」と言ったことさえ家族や看護師さんにさえなかなか伝わらないもどかしさにはかなりへこみました。
 
そして、そのような状態で周囲に誰も居なくなる不安も経験しました。「痛い」「何とかしたい」「どうにもできない」「伝わらない」半分諦め状態のときもありましたね。
 
ICUを出て、一般病棟に移ってからも、背中、肩、腰の痛みも去ることながら、眠れないし、言いたいことは近くに居れば時間はかかりますがメッセージボードに書いて伝えられるものの離れているときには伝えようがない。ついつい、伝えること自体、答えること自体がが面倒になることもありました。
 
「何をいまさらですね。女々しいぞ!!」ですね。
 
そんなことを考えていると、これからのことを考えると「果たして自分がした肉体を改造してでも生きる」という選択は正しかったのだろうか?BLOGに書き込んでくださったももさんのお父さんのような亡くなり方の方が人間として自然だったのではないだろうかなどと考えてしまったのですね。私の母は2014年11月に病気発覚後わずか3週間、生涯初めての入院1週間で、父も昨年6月元気だったのが入院後わずか10日で亡くなりました。ある意味、潔く、周囲に迷惑もかけずに亡くなったわけですから私も逝くときにはそのように逝きたいと思っていたのでした。
 
しかし、よくよく考えると、ももさんのお父さんは、急死されて、家族に友達に伝えたかったことも伝えられず無念の思いだったはずです。私の両親ももっとやっておきたことがあったはずです。遠方に住んでいる私に話しておきたかったことがあったはずです。(最愛の母は私が東北に出張中に危篤となり死に目に会えませんでした。)
 
私には神様がその時間を与えてくださった。家族の親戚の友人の暖かさに、思いに、連日涙する今まで生きてきた人生で最高に幸せな濃縮した日々を経験できました。家族との絆もより深いものになりました。。おまけに、親友の紹介で出会えた頭頚部外科K先生、呼吸器外科N先生というスーパードクターに巡り合い執刀していただだき、新たな人生を生きる「命の延長切符」を与えられたのですから。
 
私には、不自由かもしれないけど手もボディビルで鍛えた頑健な脚もありまあす。目も見えます。耳も聞こえます。
 
そうでした。まだまだ、自分にできることがあるはずです。家族に、後輩に、友人に、後進に伝えることがあるはずです。
 
ドクターには「力を入れること息めなくなる」と言われている気管孔での呼吸と、鎖骨、胸骨、肋骨を切除した肉体で筋トレに挑戦するというミッションもあります。
 
いずれにしても、今後は、考え、価値観を大きく変えた生き方が必要になるのでしょう。
 
BIGTOEは2017年9月12日(火曜日)に新しい人間に生まれ変わったのです。
 
第二の人生が始まったのです。
 
これを気にBIGTOEはNew BIGTOEに「俊行」という名前は「賢人(けんと)」に変えました。
 
癌は、スーパードクターによる大手術で切除されましたが、この「腺様脳胞癌」は根深く、しつこく、転移がしやすく、再発しやすい、効く抗がん剤もない、放射線も効かないという強敵であることが変わったわけではありません。
 
食生活、生活習慣に気をつけながら、定期診断を受けながら、第二の人生を家族と親戚と友人たちと笑顔で充実したものにするために前進あるのみです。
 
もう、迷いません!!
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おはようございます。

昨夜は医師と相談し安定剤を処方していただきましたが、逆に頭がグアングアンして、ふらつき、とても眠るどころではありませんでした。

結局、頭が落ち着いたところで術後初めて以前読んでいて御守りにと持ってきていた仏教のお経本を取りだし一冊読破。

愛すべき家族、親戚、心優しい友の健康と幸せ、やはり癌と戦っている親友の回復を祈りました。

その後、冷たいお茶をいただきしばしまどろみ朝を迎えました。

今日の鴨川の天気は雨、海も荒れています。

体が回復し、体が求めるようになれば自然に眠れるようになるでしょう。

明日のコンテストに出るんじゃないんだから、焦らせず自然に任せようと開き直りましたよ。

眠れてないことで多少は回復が遅れるかしれませんがそれでも日々回復、日々前進しているのは事実です。一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩さがるでもいいじゃないですか。着実に前進しているんですから。

今日も『未来を生きるために』頑張ります!

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昨夜の徹夜から一夜開けました。

今日は明け方に二時間だけだけどけど眠れましたよ。さわやかな朝です。

そして、検温(36*8)、血圧(131~74)、酸素値(96)測定、投薬のあと待ちに待った『流動食』タイムでした。

メニューは、おもゆ、味噌汁、牛乳、ジュースです。

まだ、鼻から胃袋までチューブが通ったままなので違和感があるため、慎重にお上品にいただきました。

ご馳走さまでした。美味しかったです。感謝!

続くリハビリてのエアロバイク20分のあとランチです。

コーンスープ、味噌汁、ヨーグルト、グレープジュースでした。

夕食おもゆ、ミルクココア、清汁、濃厚流動テルミールでした。

明日は三分粥かな?

正直、まだ、鼻から胃袋までチューブがはいったままだから違和感満載なので自然な飲み込みではありませんか、もう少しの辛抱です!

ああ、早くステーキがG麺のラーメンが食べたい!!

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今、K先生、I先生による喉の内視鏡検査、X線テレビ室での食道燕下造影検査が終わりました。

問題なしということで今日からお水が飲めます。

その後、流動食、その後、固形物へと進みます!

それに伴い鼻から胃袋に入れたチューブが外されるとのことでした。

ずっと腕に刺さっていた点滴針も抜かれました。

一歩前進です!!

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手術以来、明け方に数時間まどろむ程度しか眠れてないのですが、昨夜は睡眠導入剤を入れても一睡も出来ず遂に徹夜でした。

横になっていても、体が痛いだけなのでナースの許可を得て午前4時から病院の廊下、ラウンジを800m歩き、その後、カーフレイズを300回行いました。でも、まったく眠くない。

もちろん日中も眠くならないので寝ていません。

手術から今日で2週間になりますが、人間って眠らなくても結構大丈夫なんてすねえ。

リハビリも調子悪くないし、体温は常に36度台、血圧は常に120-80前後、酸素も常に95あたりです。

でも、今夜は眠りたいなあ。

睡眠中枢が壊れているんかしらん?

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◆24時間、鼻チューブから常にお食事中!メイバランス!

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日々、私のブログにコメントを書いてくださる皆さん本当にありがたいです。コメントにはひとつひとつ目を通させていただいています。そのひとつひとつをパワーに変えてステージ4を克服したいと思います。本来ならすべてのコメントにRESしたいところですが、まだ、肩も上がらず同じ姿勢を長く保てないため、スマホを操ることすら結構キツイのですね。ご理解のほど宜しくです。

今日は全日本プロレスのゼウスから私の大手術の日、12日(虎の日)に後楽園ホールで開幕した王道トーナメントが掲載された週刊プロレス10月4日No.1923が病室に届きました。ゼウスのコメを見て泣きました。

ジョイフルタイム西八王子の山崎さんから病室に電子ボードが届きました。書き心地が良く軽いので腕が上がらない自分にも扱えとても重宝しています。

皆さん、本当に、本当に、本当にありがとう!!

感謝の気持ちで一杯です!!

昨夜も寝付かれぬ夜でした。

そして、明け方近くの午前4時。まどろむ中、トイレに行こうとしてふと右前胸部頚部のドレンを見ると血で真っ赤。床につくまでは左前胸部頚部ドレンと同様に色も薄くなり量も減っていたのに。

驚いてナースコールしました。ナースが自宅に居たドクターを呼び、さっそくエコー検査と採血。

結果、右前胸部に血溜まりが確認されたものの貧血もなく血液の色から動脈血ではなく咳か何かが原因て手術部付近で軽い出血が起きたか、どこかに溜まっていた血液が出てきたものと判明。

時間の経過とともに落ち着くだろうとのことでした。

お陰様で今は落ち着いています。しかし一時は『再手術』が頭に浮かびビビりましたよ。

明日で手術から2週間の週に入ります。2週間目の火曜日の全摘出した喉の検査がOK であればいよいよ半月ぶりに水が飲めます。楽しみです。

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もともと能天気な私。

喋れなくても余計なこと言わなくていいやん。
カラオケ?聞く側に回ればいいやん。
ギター?弾き語りは出来ないけど弾きは出来るやん。
電話?ライン、メールがあるやん。
どっちかと謂えば、今まではしゃべり!高倉健のような寡黙な男の人生もええやんくらいに思っていました。

しかし、術後、実際になってみると、、、、、なんと不便か、、、、、

声がでないに加えて、上体が思うように動かないこともありシェスチャーも出来ない。首の付け根から左右上下に切開しているから仰向けに寝た状態から首も痛恐くて起こせない。
その状態でノートと鉛筆を持たされてもノートは見えない、手は上がらないから書きようがないのです。
読唇術を習得してない限り、いくら家族でも私の口の動きを見てもなかなかわからない。何度繰返してもわからない。

『なんでわからないんや』と思ってしまう私。
一生懸命理解しょうとしても『言いたいことがわからない』と途方に暮れる家族。

『ここが痛い』と言っても指で指せないもどかしさ。筆談で伝えたいが頭を上げられないのに加えて老眼まじりの近眼ということも手伝ってノートが見えない。ノートの上の方まで腕が上がらない。それを家族はわからない。私が悲しそうな顔をすると家内も泣きそうな気分になる。

術後数日間はそんな感じでした。

今、
術後、11日が経過。コミュニケーションも少しずつですが良くなってきています。

腕も少しずつですが上げられるようになってきています。仰向けに寝た状態から体の位置を変えることも出来るようになってきました。

体が日常生活が普通に出来るレベルに回復すれば、次はコミュニケーションの問題に全力投球です。タイプしてボタンを押せば音声に転換される機器でしょうか。

困難を乗り越え家族の絆がますます強くなるのを感じるこの頃てす。
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リハビリは20分歩行を1300m、1400m、1600m、1700mと更新し昨日からエアロバイクです。

今日は負荷(ワット数)を10ワット上げて20分漕ぎましたよ。

加えて、痛みと上半身が動かせないため夜中に背面が痛くて眠れないので時間を有効利用するためにスタンディングカーフレイズをベッドサイドで5セットから10セットやっています。

来週末には体液を出すためのドレン2個、栄養補給、投薬用チューブも外れるのでもっと眠れるし運動も出来るようになるでしょう。

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手術成功以来、やはり、上体の、傷が大きいことと、鎖骨、胸骨、肋骨4本を切除したためでしょう。上体か動かせないため、寝返りもうてず、眠れない長い夜を過ごしています。

K先生も『今が一番辛い時だろう』とおっしゃってました。今はただ耐えます❗

リハビリは、昨日は20分1700m歩き、今日から歩くことからエアロバイク漕

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手術から一週間です。[画像:8b57b4d5-s.jpg]

幸いにも食道への癌の浸潤がなく食道を残せ、小腸移植、胃袋の吊り上げをしなくてすんだので手術時間も半分ですみました。

回復時間も短縮、放射線治療も短縮され年内には一応の完治。あとは自宅療養、銀座のクリニックへの通院になるのではないでしょうか。

現在、体のあちこちに繋がったチューブ類はあと2週間程度でとれる予定です。

飲食は検査で問題がなければ、あと一週間で水から始められます。

手術の傷が付くのは3週間が目処のようです。

辛いのは鎖骨、胸骨、肋骨を切除したため、上半身の自由が効かず寝返りが打てないため背中や尻が痛くて眠れないこと、胸にあけた気管孔にあがってくるタンの吸引の苦しさです。

しかし、日々、改善。早期社会復帰、トレーニング復帰を目指します。近況報告でした。

PS. 会社の山本さんに脅かされて心配していたおちんちんの管は取り越し苦労でした。良かった!

PS2.
午前リハビリ。歩行20分、1500m。肩甲骨運動。
午後リハビリ。歩行20分、1600m。肩甲骨運動。
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手術後六日目のリハビリ。

今日は午前1300m20分、午後は1400m、20分歩きました。合計2700m、40分ですね。

しかし、上半身はまだ動かせないため不自由です。

左右の鎖骨半分切除、胸骨半分切除、肋骨左右二本ずつ切除。つまり、胸鎖関節が無いわけですから傷の治癒後にリハビリでどれだけ動かせるようになるのか疑問ですがやりますよ! [画像:538ee326-s.jpg]

術後、保護具とチューブで固定された体でやっと何とかスマホを操れるようになりました。

そんな体で術後10数時間でチューブだらけの体で早くもリハビリが始まり歩かされました。今は回復を早め、合併症をふせぐためにそうするとは、聞いていましたが、これには流石にびっくりしましたが頑張ってます。それよりもチューブまみれで、骨を肉をとる手術をされた上半身が動かせないため眠れないのが辛い。気管孔のタンの吸引もかなり辛い。しかし、痛みは生きている証。頑張ります。No  pain, no  gain は、まだ、始まったばかりです。などと格好をつけていますが、しばらくはブログを更新する余裕はないかもです。しかし、こんな難しい手術をやってのけるドクターたちも、看護師さんたちも凄いですね!感謝することしきりです。まずは、手術成功の報告でした。
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今日、千葉県鴨川市の亀田総合病院に入院しました。

早速、PET検査、心臓エコー、体位、体力測定、ボルダインの練習、耳鼻咽喉科の診察、麻酔科の医師による硬膜外麻酔等の説明、手術についての説明、経口補水液アクアソリタ、下剤センナリドの服用などなどと結構忙しい手術前日となりました。

順調に行けば、明日で腫瘍とはサヨナラですが、ステージ4に成長した腫瘍は恐らく取りきれない、その為、断端部への放射線治療が必要になると主治医N先生からうかがっていますから、戦いは始まったばかりです。

応援してくれる家族、親戚、魂で繋がった友人たちの思いをパワーに変えて生還します。

そんな中、親友の全日本プロレスのゼウスが虎の御守りを持って鴨川まで会いに来てくれました!!


強い、強い男から熱い熱いパワーを受けとりました!!


12日、虎の日は二人にとって熱い熱い魂の闘いの日になります!!
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意識が戻り次第、早期にブログ復活致します!!

安房鴨川に到着!!

家族が宿泊するホテルから戦いのステージが一望できます。

今夜は手術前最後の食事になります。術後はいつから食事ができるのでしょう。
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わかしお9号で安房鴨川に向かっています。手術の成功を予期するかのように真っ青な空が広がっています。今日は母の月命日。明日は父の月命日です。そして、決戦の日、12日は虎の日です。仲間たちからの熱い念を感じます。
闘志が湧いてきました。

移動中、スマホからのブログ更新方法を学びました。これで明日まで更新可能です。

術後、何日で再会出来るか楽しみです!

いよいよ、鴨川へ出発の前夜(実際には日が変わっているので当日)です。

挨拶出来ていなかった取引先へ取り急ぎの挨拶電話しました。

かっての月ボの同士、ヒロシから電話がかかってきました。よく、一緒に車を運転して名古屋や大阪にコンテストの取材に行ったよな。若いのに、ご両親がよく聞いていたからと私の青春時代の流行歌を二人で口ずさみながら行ったよな。フェイスブックで知ったと心配して電話してくれてありがとうな。

全日本プロレスのゼウスとボディガーからも電話がきました!!

ゼウスは「12日は虎の日、自分も後楽園ホールのリングで死に物狂いで戦います。吉賀さんも絶対勝てます。手造りの虎の御守りを届けます。」と!!心が熱くなりました!!

ボディガーからは「必ず勝って生きてください。術後の痛みにも耐えてください!」との熱い魂の言葉をいただきました。

「NO PAIN, NO GAIN!」と応えました!!

あと2日をきりました。

体が熱くなっているのを感じます!!

今日は、手術を決めて以来、時間の経過が最高に早く感じた1日でした。

眠れそうにありませんが横になって40数時間後に迫った戦いに備えます。

今日、鴨川に向かいます。明日、入院。そして・・・。

みんなに会いに必ず帰ってきます!!

I will be back!!
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今日、私の会社での営業マン人生は幕を下ろしました。

東京オリンピックを控える東京での営業活動という点では、「いよいよ物件が動き出すぞ!!」と言う矢先、国内経済の頭打ち、また五輪後の衰退が予想される中、海外進出は必須。そのプロジェクトに入れてもらおうとやり直しの英会話をしている最中でもありました。
折角、THやRやLの発音を磨いてきても声が出なくなるのですから話せませんよね。無念です。無念ではありますが現実を受け止めるしかありません。

そんなことを考えていると、一昨日、昨日と2日続けて明け方まで寝付けませんでした。

でも、耳は聞こえる!!苦手なリスニングを磨こうと考え直しました。

明日は、プライベートで遣り残したことの整理と家族との時間に費やします。

そして、明後日、戦場へ旅立ちます。

今日も、所沢で可愛いファンからの励ましを受けました。これも私にとっては戦うための大きなパワーです。
sTokorozawa20170908

生き残りを賭けた決戦の日まであと3日!!

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