BIG TOEの「未来を生きるために!!」

健康を自負していたボディビルダーに突然降って沸いた「ステージ4」の癌宣告。それも効く抗がん剤もない、放射線も効かない稀少癌、しかも、気管内と言う悪条件で生き残る可能性は成功しても大きな後遺症が避けられない命を賭けた大手術のみ。 そんな現実に直面して思う人生あれこれ。家族のこと、友達のこと、仕事のこと、趣味のこと、生きる意味、人の優しさ、真っ当な生き方について語ります。

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以前このブログで手術によって起こると想定できる後遺症として「声を失う。」、「呼吸は、鼻、口ではなく、胸に開いた気管孔からとなる。」、「鼻をかめない。」、「笛を吹けない。」「熱いスープをフーフー出来ない。」、「うどんをすすれない。」、「嗅覚がなくなる。」、「味覚の変化」、「息んだり出来ないのでスポーツ、重量物運搬は出来なくなる。」、「温泉、風呂、プールに入れない。気管孔から水が入るとおぼれる。」etc...今まで当たり前のようにしていることが出来なくなるという話をしました。
 
加えて、気管が喉に繋がってないのですから気管孔からの痰取り、清潔に保つメンテナンスも日常的に、甲状腺、副甲状腺をとっているのでホルモン剤の服用も日常的に必要になってくるのです。
 
それでも、実際にその体になってみると新たにわかることが次々と出てきます。
 
「欠伸」、「咳」、「くしゃみ」、「ゲップ」、「いびき」などという今まで当たり前にやっていたことがそうでなくなっていることに気がつきます。
 
術後の体験では「欠伸」は出ますが、気管が口に繋がってないので空欠伸という感じで中途半端で気持ちよくありません。
 
「咳」は出そうになると今までの感覚、癖で口に手を当てますが、実際には胸にあいた穴、気管孔から空気が吹き出ます。
 
「くしゃみ」しかり。鼻がむず痒く鼻を押さえてくしゃみをしても実際には胸に開いた気管孔から出るのです。
 
「げっぷ」は食事をするときに口から食堂胃袋と繋がっており気管とは繋がっていないため空気の出し入れの調節ができないのでしょうか、食事が終わったあとに食事と一緒に飲み込んだ空気が自分の意思とは別に自然に「げっぷ!げっぷ!」と出てきます。
 
どうか、お行儀が悪いとしからないでください。
 
「いびき」は喉を呼吸の空気が通らないので鼻、口から音は出ませんが、気管孔から空気が出入りするいびきの様な音がでます。
 
まだまだ、新しい発見が出てきそうですが、与えられた命です。前向きに、時間をかけて、慣れていくしかありませんね。
 
Just keep on going!!

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昨日、Tドクターに「今回の手術で私の骨、筋肉はどう変わったのか?」を聞いてみました。

皮膚の縫合跡が大きくJの字になっており、右胸の腫れとツッパリが強いからです。

元ボディビルダーとしては気になることですよね。

癌に侵された気管には人口気管は現在の医学では存在しないため、残された短い気管を口方向(縦方向)ではなく距離をかせぐために心臓の血管の間をくぐって横方向に這わせ胸に開けた穴に縫いつけ気管孔という呼吸をするための穴を構築するというのが今回の呼吸器構築手術です。

理屈では、これからは鼻、口を使った呼吸をしない。胸に開けた気管孔という穴から呼吸をする。通常の体では鼻、口で空気を吸って吐き、口を使って食べ物をとり、喉で空気は気管に入り、食べ物は食道へ流れ込むのだが、これが別々の道を通ることになるのだ。一見、なんだ、鼻が胸に付いたと思えばいいのか!とも取れるが、実際にその体になってみると。今まで当たり前にできていたことが出来なることが多く、生きていくうえでのリスクも高まることを改めて思い知らされます。

 私の場合、主治医のNドクターが鎖骨、胸骨、肋骨を「切断する」ではなく「切除する」、「戻さない」のではなく「戻せない」と言ったのは、分厚い胸では外部までの距離が稼げないからだったのです。納得です。

では、残った気管を単に皮膚に縫い付けるのか、それで持つのだろうかという疑問があったのですが、Tドクターの説明によると私の場合、右胸の大胸筋が取り付けのベースとして使われたようです。そのために完成した体は右の大胸筋下部が一部切断され体中央より左に引っ張って縫合。その大胸筋をベースに気管孔が構築されたそうです。

ということは、完成品は左右非対象の体になります。今、悩まされているのは胸の右側大胸筋の腫れと突っ張り感からくる痛みです。

これらが改善するには、切断部、縫合部の傷が癒え、腫れが引き、体がその形に馴染むことが必要です。まだまだ時間が必要に思います。しかし、めげません。T先生は筋トレも工夫すればできるようになるだろうと言ってくれています。

経過は、順次報告したいと思います。
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賢人です。

今朝、主治医のスーパードクターN医師の回診がありました。

気管孔のチェックと掃除をしながら『そろそろ自分で綿棒を使って痰を取る練習をして下さい。』

『テーブルに置ける鏡を持ってきてもらってください。』

⇒「まだ痛いし、自分で手術痕を見るのも正直恐いのに。ビビリやから。(心の声)」・・・慣れるしかないですね。

『中は綺麗になってきましたね。気管の分岐部まで見えますよ!!』

⇒「あの~、あまり見たくないんですけど。ビビリやから。」(心の声)

『入り口の傷が治れば今みたいに痰がこびりつかなくなりますから。』
⇒「それなら痰を取る練習は傷が癒えてからでいいやん。」(心の声)。

『手を上げるリハビリをして、退院まであと約2週間。あとは京橋で診ますから。』
⇒「え~!!そんなに早く!!不安なんやしもっと病院に置いてよ!!」(心の声)

でした。事態は急展開の模様です。

と言うことは、退院は早くて今月15日、遅くても22日あたりでしょうか。

その後は銀座京橋クリニックに通院しながらの自宅療養に入ります。

あとは退院までに出る「癌切除の断端部の癌細胞の遺残の有無の結果」と「PET 検査の結果」次第で「再入院しての放射線治療が必要か不要か」、「必要ならばどれくらいの入院が必要か」が決まりそうです。

まさに事態は急展開の様を呈してきました。

嬉しいやら、怖いやら!!


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その直後・・・

「ビックリポンや!」びびった!!

突然、パジャマが濡れてる!!ことに気がつく。

「水でもこぼしたかな!?」と思ってみたらパジャマが血で真っ赤。

タイミングよく看護師さんか部屋に入ってきて良かったです。若いお姉さんなので驚いておられましたが。

どうやらドレンを抜いた穴がまだふさがっておらず腹に溜まった血が流れ出てきたようです。

生憎、ドクターは手術中。応急処置で腹にガーゼを当てて横になっています。

いやはや、なんやかんやと次々起きますわ。よって、大事をとって今日のリハビリは休みです。


先ほど、手術を終えたTドクターが病室に来て「じゃあ、縫いましょう!」と言って縫ってくださいました!!

やっぱり、聞きました。

「縫う?痛いんですか?」

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チクリ!チクリ!と皮膚が引っ張られる感触!!

さほど、痛くはなかったけれど、後で歩こうと病院の廊下に出ると・・・腹の皮膚が突っ張る、プチ痛い感。

歩くの中止しました。

おはようございます。

賢人の新しい朝を迎えました。

昨夜もまどろんでは起き、まどろんでは起きるの繰り返しでしたが、自分には合わないと判断した睡眠導入剤に頼ることなく、真夜中の病院の廊下を3.5キロ歩き、ラウンジで入念にストレッチをし、読経をしました。

眠れないのはしんどいですが、体調は悪くありませんから慣れない新しい体にまだ馴染めないメンタル面のストレスが原因でしょう。

まだまだ心が弱い!修行が足りません!

でも、徐々に前進していることは確かです。

仕事してないから時間はたっぷりあります。

体調の波、心の波は日々ありますが焦らせず自然に身を任せたいと思います。

川の流れのごとく。

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今、突然、T先生が病室にやって来て、『今から管抜きますね。抜糸しますね。』と言ってやっていきました。

予告なく突然だったのでビックリ!!

思わず『抜くの痛いんですか?抜糸痛いんですか?』と聞いてしまいました。『チクッと変な気分がするかも!じゃあ、やってみましょうか。』と言うことでやりましたよ。引っ張られるようなチクッだけでした。

これで、チューブマン卒業です。[画像:38a9e36e-s.jpg]

明日から10月、いよいよ得意分野リハビリに専念です!!

火曜日の喉の検査の合格を受けて、水曜日流動食、木曜日3分粥、今日は全粥でした。

その結果、問題なしということで、手術中に鼻から胃袋まで入れられていた栄養剤と薬注入用チューブが先程抜かれました。

これで顔の右半分の違和感から解放され顔も洗えます。髭も自分で剃れます。

また、一歩前進!あとは左右の胸から出ている廃液用のドレンチューブだけです。

そして、手術以来続いている不眠と骨を取った上半身の、リハビリですね。

今夜からはかなりの量の薬を口から飲まなければならないようです。

前進あるのみです!
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今夜は眠れそうな気がしてきました!

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数日前、一睡も出来ない夜だったという話をしました。
 
実は、手術後初めて、その夜は一人眠れない病室で「未来に一抹の不安」を感じたのでした。
 
2ヶ月にわたる間、4つの病院を回り、ドクター、家族、真友たちと話し合い、ネットや本で情報を集めて、検討し、悩み、涙を流して「自分は絶対に体にメスを入れる手術はしない」という今までの考えと真逆の選択を確信を持って「生きる」ためにしたというのに。
 
「どんな形になっても生きる」か「放置して死ぬ」かの2者択一という選択に「生きる!!!」という結論を出したのに。
 
「どんな体に生まれ変わっても与えられた体で命で奇跡を起こそう!!」と決意したのに。
 
そして、手術の日まで迷うことなく突き進んで来たのに。
 
私自身、62年間生きてきて、会ったこともない胸に呼吸のための気管孔を開けて呼吸をして生きていくという超レアな人間として生きる。正に人造人間のようになってしまったという、ある意味、延命処置とも言える大手術を選んだことへの不安が、鏡で見た自身の胸の手術跡と想像以上に痛々しい(手術から2週間で傷もまだ癒えていないので仕方ないのですが)気管孔を目の当たりにして一気に不安として吹き出てきたのです。
 
あかんたれです。ビビリです。
 
「風呂、温泉に入れない」「プールや海に行けない」などは想定内にしても、「若くて、健康な時は、何とかなるかもしれないが、歳を重ね、病気になったりしたらどうなるのだろうか?」とか「関西に戻って病気になった時、このような体を受け入れてくれてくれる病院が近隣にあるのだろうか?」とか「胸の気管孔から直接、気管、肺に続くので、病気感染を恐れて人ごみには行けないのではないだろうか?」「通勤ラッシュ、満員電車は無理ではないのか」「今までは痰というのは、喉に溜まって「ウエーツ。ペッ!!」と吐くものと思っていたのですが、これからは気管の中に溜まるので気管孔から出すというテクニックが必要になってくるが自分にできるのだろうか?」とか、「鎖骨、胸骨、肋骨も切除されているから今までのようなトレーニングは無理というのは想定内にしても今だあがらない肩が本当に上がるようになるのだろうか?」etc...ネガティブなことばかりが頭に浮かんできてね。
 
入院している鴨川の亀田総合病院の病室は太平洋に面したオーシャンビューで素晴らしい景色なのですが、サーファーや釣り人が大勢居るのですね。つい「ああ、自分にはもうこんなことも出来ないんだなと。」思ったりしてね。
 
声帯を取ってしまうので声が出ないというのも想定内だったはずなのに、声が出ない+体が想像していた以上に動かないので、「背中が痛い」「尻が腰が痛い」「体の向きを変えたい」「頭の位置を変えたい」と言ったことさえ家族や看護師さんにさえなかなか伝わらないもどかしさにはかなりへこみました。
 
そして、そのような状態で周囲に誰も居なくなる不安も経験しました。「痛い」「何とかしたい」「どうにもできない」「伝わらない」半分諦め状態のときもありましたね。
 
ICUを出て、一般病棟に移ってからも、背中、肩、腰の痛みも去ることながら、眠れないし、言いたいことは近くに居れば時間はかかりますがメッセージボードに書いて伝えられるものの離れているときには伝えようがない。ついつい、伝えること自体、答えること自体がが面倒になることもありました。
 
「何をいまさらですね。女々しいぞ!!」ですね。
 
そんなことを考えていると、これからのことを考えると「果たして自分がした肉体を改造してでも生きる」という選択は正しかったのだろうか?BLOGに書き込んでくださったももさんのお父さんのような亡くなり方の方が人間として自然だったのではないだろうかなどと考えてしまったのですね。私の母は2014年11月に病気発覚後わずか3週間、生涯初めての入院1週間で、父も昨年6月元気だったのが入院後わずか10日で亡くなりました。ある意味、潔く、周囲に迷惑もかけずに亡くなったわけですから私も逝くときにはそのように逝きたいと思っていたのでした。
 
しかし、よくよく考えると、ももさんのお父さんは、急死されて、家族に友達に伝えたかったことも伝えられず無念の思いだったはずです。私の両親ももっとやっておきたことがあったはずです。遠方に住んでいる私に話しておきたかったことがあったはずです。(最愛の母は私が東北に出張中に危篤となり死に目に会えませんでした。)
 
私には神様がその時間を与えてくださった。家族の親戚の友人の暖かさに、思いに、連日涙する今まで生きてきた人生で最高に幸せな濃縮した日々を経験できました。家族との絆もより深いものになりました。。おまけに、親友の紹介で出会えた頭頚部外科K先生、呼吸器外科N先生というスーパードクターに巡り合い執刀していただだき、新たな人生を生きる「命の延長切符」を与えられたのですから。
 
私には、不自由かもしれないけど手もボディビルで鍛えた頑健な脚もありまあす。目も見えます。耳も聞こえます。
 
そうでした。まだまだ、自分にできることがあるはずです。家族に、後輩に、友人に、後進に伝えることがあるはずです。
 
ドクターには「力を入れること息めなくなる」と言われている気管孔での呼吸と、鎖骨、胸骨、肋骨を切除した肉体で筋トレに挑戦するというミッションもあります。
 
いずれにしても、今後は、考え、価値観を大きく変えた生き方が必要になるのでしょう。
 
BIGTOEは2017年9月12日(火曜日)に新しい人間に生まれ変わったのです。
 
第二の人生が始まったのです。
 
これを気にBIGTOEはNew BIGTOEに「俊行」という名前は「賢人(けんと)」に変えました。
 
癌は、スーパードクターによる大手術で切除されましたが、この「腺様脳胞癌」は根深く、しつこく、転移がしやすく、再発しやすい、効く抗がん剤もない、放射線も効かないという強敵であることが変わったわけではありません。
 
食生活、生活習慣に気をつけながら、定期診断を受けながら、第二の人生を家族と親戚と友人たちと笑顔で充実したものにするために前進あるのみです。
 
もう、迷いません!!
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おはようございます。

昨夜は医師と相談し安定剤を処方していただきましたが、逆に頭がグアングアンして、ふらつき、とても眠るどころではありませんでした。

結局、頭が落ち着いたところで術後初めて以前読んでいて御守りにと持ってきていた仏教のお経本を取りだし一冊読破。

愛すべき家族、親戚、心優しい友の健康と幸せ、やはり癌と戦っている親友の回復を祈りました。

その後、冷たいお茶をいただきしばしまどろみ朝を迎えました。

今日の鴨川の天気は雨、海も荒れています。

体が回復し、体が求めるようになれば自然に眠れるようになるでしょう。

明日のコンテストに出るんじゃないんだから、焦らせず自然に任せようと開き直りましたよ。

眠れてないことで多少は回復が遅れるかしれませんがそれでも日々回復、日々前進しているのは事実です。一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩さがるでもいいじゃないですか。着実に前進しているんですから。

今日も『未来を生きるために』頑張ります!

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昨夜の徹夜から一夜開けました。

今日は明け方に二時間だけだけどけど眠れましたよ。さわやかな朝です。

そして、検温(36*8)、血圧(131~74)、酸素値(96)測定、投薬のあと待ちに待った『流動食』タイムでした。

メニューは、おもゆ、味噌汁、牛乳、ジュースです。

まだ、鼻から胃袋までチューブが通ったままなので違和感があるため、慎重にお上品にいただきました。

ご馳走さまでした。美味しかったです。感謝!

続くリハビリてのエアロバイク20分のあとランチです。

コーンスープ、味噌汁、ヨーグルト、グレープジュースでした。

夕食おもゆ、ミルクココア、清汁、濃厚流動テルミールでした。

明日は三分粥かな?

正直、まだ、鼻から胃袋までチューブがはいったままだから違和感満載なので自然な飲み込みではありませんか、もう少しの辛抱です!

ああ、早くステーキがG麺のラーメンが食べたい!!

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今、K先生、I先生による喉の内視鏡検査、X線テレビ室での食道燕下造影検査が終わりました。

問題なしということで今日からお水が飲めます。

その後、流動食、その後、固形物へと進みます!

それに伴い鼻から胃袋に入れたチューブが外されるとのことでした。

ずっと腕に刺さっていた点滴針も抜かれました。

一歩前進です!!

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